淡雪
「そういえば、女子の一人が黒坂様の名を出してましたよ」

「へ?」

「花魁に、黒坂様とどういう関係か、とか言ってましたね。すぐに女将に叩き出されましたけど」

「……見世先で、音羽に直接聞いたのか」

 少し呆れたように言い、黒坂は息をついた。
 どうも、その辺りからおかしくなっている。
 実際に音羽と対峙したことで、奈緒の中で何かが弾けたのだろうか。

「あの娘っ子、小槌屋さんのお客だと仰いましたね。娘さんが借金こさえるわけはなし、掛け取りに行ったときに一目惚れしたとかですかね?」

「掛け取りに来た奴になんか、惚れるわけねぇだろ。あいつは借金の形になってんだよ。親の出世のための借財の形に、小槌屋に身柄を押さえられている」

「そりゃ、気の毒なこって」

 眉を下げる五平に、黒坂は首を振った。
 そして少し声を潜める。

「気の毒なもんかい。実はな、その女子が、揚羽をどうにかしたんじゃねぇかと思うんだ」

 え、と心底驚いたように、五平が目を剥く。
 そして以前見かけたという記憶を辿るようにしながら、しばし宙を睨んだ。

「しかし……そんなことをするようなお人には見えませんでしたが……。お武家のお嬢様でしたし」

「俺もそう思っていた。けど、実は俺は、あいつから直でこれを受け取ったんだ」

 そう言って黒坂は、懐から油紙に包んだ髪を取り出した。

「前にも見せたが、招き屋に届いたものと同じだろ? 両耳の辺りの髪の毛を、揚羽はこの組み紐で括っていたな。左右で二つだ。俺と音羽で一つずつ」

 五平が目を伏せた。
 髪の毛だけを送り付けるなど、どう考えても悪い予感しかない。

「あ、揚羽は無事なのでしょうか」

「わからん。でも女子に殺せるとも思えん。周到に用意したって感じでもなかったし」

 黒坂に髪を渡したとき、奈緒は初めは揚羽と話をするだけだったような口ぶりだった。
 初めから揚羽をどうにかするつもりで近付いたわけではないだろう。

「殺すまでは行ってないと思いたい。だが見世に帰ってないのは事実だ。どっかに閉じ込めているのか?」

「その場で殺さなくても、閉じ込めて放置すれば、力はいりませぬ。早く見つけなければ危ういのでは」

「そうだな。無傷かどうかもわからんし。とりあえず煙草屋に急ごう」

 頷き、五平は立ち上がると再び竿を握って、舟を進めた。
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