淡雪
「奈緒殿は、あなたに惹かれているのではないですか?」

 ややあって、良太郎がぽつりとこぼした。
 黒坂が顔を上げると、真っ直ぐに見る良太郎の目とぶつかる。

「わからん。単なる珍しいものへの執着のようにも思う」

 そんなことはない、と流すこともできたような気がするが、黒坂は素直に自分が感じたことを伝えた。
 何となく、奈緒は黒坂に『惹かれている』というよりは、『執着している』といったほうが正しいように思う。
 根底には恋慕の情があるのかもしれないが、それよりも他の女子のものである男を奪うということに重きを置いている感じがするのだ。

 黒坂が、あっさり奈緒を受け入れれば、奈緒はこれほど黒坂に執着しないのではないだろうか。
 今まで恋という恋をしてこなかったため、そういった状況に酔ってしまっているのではないか。

「奈緒は見るからに武家のお嬢様だ。微禄とはいえ、実際ちゃんとした家の娘だしな。俺のような浪人とは、今まで関わることもなかっただろう。知らない分野が新鮮に見えるのは、よくあることだ」

「そうでしょうか」

 少し納得したようで、良太郎の顔が明るくなる。
 だが奈緒が黒坂に興味を持っていることには変わりない。

 黒坂は小槌屋に目をやった。
 奈緒のことを言うべきか。
 小槌屋も、難しい顔をした。

 真に奈緒を想っている良太郎であれば、奈緒の目を覚ましてくれるかもしれない。
 だが揚羽の状態によっては、良太郎の心は奈緒から離れるだろう。
 そうなったら奈緒がどうなるか。

「……とりあえず、奈緒の借金はあんたのところが持ってくれるんだろう? だったら俺との契約はなくなるし、まぁ家の借金は残ってるから関係は切れねぇが、奈緒個人との関係は切れる。それでいいんじゃねぇか?」

「そう……ですね」

「ところで最近、奈緒に気になるところはねぇか?」

「気になるところばかりですよ」

 いきなり憮然と、良太郎が吐き捨てるように言った。
 少し前までは稽古も行かずに家に籠っているかと思えば、ここ最近は何かに駆り立てられるように動き回っているという。

「そういえば、この前は舟宿について聞かれたりしました。思えばあの頃から、ちょっと様子がいつもと違ったかな」

「舟宿? いつ頃だ?」

「大分前ですよ。わたしがこちらに伺うようになる前ですね。奈緒殿自身が借金を申し込んだ直後ぐらいでしょうか」
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