社長と秘書の素直になれないバレンタイン
「届け物」
「……以上です。あと、社長、こちら、お届け物です」
社長秘書を務める私は、社長のデスクの前で一通り明日のスケジュールを伝えると、最後に腕に掛けた紙袋を社長に向かって差し出した。書類に目を通していた社長は、忙しいのに迷惑だ、と言わんばかりに眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「何の届け物だ?」
「チョコレートです」
「チョコレート?」
社長は届け物を受け取り、紙袋の中から超高級ブランドのチョコレートを取り出した。
そのチョコレートには『愛を込めて ――沙野香』と書かれたシンプルなピンク色の一筆箋が挟まれている。一筆箋を見るなり、社長は大きくため息を吐いて、私を見上げた。
「何の冗談だ、高野沙野香」
「冗談ではありません。お届け物です」
「こんなふざけた真似をするな。仕事中だぞ」
「仕事中だから、お渡しできるのです。プライベートではできません」
「嫌みな女だな」
私と目の前にいる社長、もとい、鷹島政人は付き合っている。他の外資系の会社で秘書をしていた私は、知り合いだった政人に引き抜かれ、政人の秘書として5年間仕事をしてきた。付き合い始めたのはちょうど約1年前。でも、政人は私に「贈り物」をくれるばかりで、私から何かをされるのはことごとく拒んでいた。
「何でチョコレートなんだ」
「世間では、今日、バレンタインデーなのですよ。ご存じありませんか?」
「まさかお前がそういうのを気にするとは、知らなかったよ」
「受け取らなくても結構ですが、秘書との関係にヒビが入ると困るのは、社長ではありませんか?」
政人は苛立って指をコツコツとデスクの上で何度か叩いたが、やがてチョコレートの包みを開き、アソートになっているチョコレートの粒を一つ口に含んだ。
「いかがですか?」
「まあ、悪くは、ない」
「それでは、コーヒーもご用意いたします」
政人が甘いものを好きなのは知っていた。そして、甘いものとコーヒーの組み合わせが好きなことも知っている。
早速、私が社長室専用の高級なコーヒーメーカーでコーヒーを入れる準備をしていると、背後に政人の気配を感じ、直後、後ろから強く抱き締められた。
「今は仕事中ですよ、社長」
「仕事が終わったら、駐車場へ来い。俺は借りが嫌いなんだ。今日は一晩中、お前を離さない」
――素直じゃ無い私と政人のバレンタインデーは、これからが本番だ。