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「翔太が刺された」

とケン兄が言った。
ケン兄が病院から帰ってきたのは、翌朝の10時過ぎ。
目の下にはクマがあって、青白い顔をしていた。
きっと寝てないんだろう。
私もほとんど寝れず、ケン兄を待っていた。

「刺さ、れた…?」

妙に静かだ。
いつも何かの音が鳴っている音楽室に、今日は楽器の音も、コンポから流れる音も、ない。

(変なの)

静かすぎる。

「みどりさん…って翔太の母さんなんだけど、」

(知ってる)

朗らかな、ひまわりみたいな笑顔がぱっと浮かんで、顔がゆるむ。―――こんな時に。
ケン兄は、ひどく重そうに口を開いて、説明をしてくれた。

翔太サンを刺したのは、ここ最近みどりさんをつけていたストーカーの男だった。
翔太サンは、玄関越しでその男に数回刺され、救急車で病院に運ばれた。
みどりさんは無事。(けれど、ひどく取り乱していたらしい。当たり前だ)
犯人のストーカーは、すぐ捕まった。

私は突っ立ったまま、その説明を聞いた。
ケン兄がしてくれた話はまるで現実感がなくて、私はぼんやりしていた。

よく、わからない。

いや、ケン兄が説明してくれた、実際に起きたことは現象として理解できる。
でも、意味が頭の中で定着しない。

一通り説明を終えて、音楽室を沈黙が支配する。
私はケン兄を見て、口を開く。
でも、声が出ない。
ケン兄と目が合う。

「…佑香、おまえ寝てないだろう。とりあえず、休もう」

ケン兄は口早にそう言って、疲れた顔で微笑んだ。
―――子どもをあやすみたいに。

私はうつむく。
聞きたいことがあるのに、こわくて声が出ない。

(ケン兄)

心の中で呼びかける。
ほんとは、私の聞きたいこと、分かっているんだ。
そうでしょう?

(ケン兄、いやだ。こんなのは、いやだ。)

否定して。
ちゃんと、否定して。

声が出ない。
無様に立ち尽くした私の頭をケン兄がなでる。

ねえ、

それで、翔太サンは?

声が、出ない。
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