優しいあなたの嘘の法則
「なんのバイトしてんの?」
「…コンビニバイトだよ」
想くんは読んでいたらしい本を机の隅に置いて、コーヒーを一口飲んだ。
「なんの本?」とたずねると、想くんはタイトルを告げた。数年前に流行った小説だった。病気で余命わずかの女の子と小説好きの男の子の恋愛小説だ。
その本はわたしも大好きな小説で、身を乗り出すようにして想くんの言葉に反応した。
「実希ちゃん、本よく読むの?」
「はじめは好きな人目的で本屋に通ってたけど、どんどん本にのめりこんじゃったんだよね」
最近は失恋した悲しみであまり読めていないけど、と付け足す。
失恋する前、密かに思いを寄せていた時は、週に一回は必ず本屋に顔を出していた。通ううちに顔を覚えてもらうまでになった。そして、おすすめの本を教えてもらうまでに仲良くなった。けれどふられてからは一度もあの本屋さんには顔を出していない。
そんな私の考えていることを察したのだろうか、私の好きな人の話題になった。
「好きな人の、どういうところが好きだったの?」
「え、顔」
「まじか」
「悪い?」とぶっきらぼうに言って、私はコーヒーを一口飲んだ。砂糖とミルクを一つずつ入れたにもかかわらず、甘党の私にはそのコーヒーは苦く感じた。
「ある小説を買ったときに、たまたまレジしてたのが彼だったんだ。超能力を持った男の子の話で私が大好きな作家のものだった」
「へえ」
「レジで渡したときに『僕もこの本、大好きです』って笑ってくれて。その笑顔に一目惚れしたんだ」
「いいじゃん」
お客さんでいっぱいのはずなのに、店内はなぜかとても静かだった。ピアノの音色が優しく耳に響く。曲名はドビュッシーの月の光だった気がする。コーヒーの匂いと優しいピアノの音色が重なり合った。