優しいあなたの嘘の法則
その話は、誰にもしたことがなかったものだ。なぜ想くんに話したのだろうか。普段とは違った環境に身を置いているからなのか、それとも想くんのどこか柔らかい雰囲気のせいなのか分からなかった。
いいじゃん、と笑った彼を見てなぜか胸が苦しくなった。
「実はね。さっき本屋さんに行こうとしたんだ」
それは決して話すつもりのないことだった。想くんならどんな話でも耳を傾けてくれる気がして、気がつけば私は口を開いていた。
〝無理して諦めなくてもいいんじゃない?〟
想くんに言われて心がすごく軽くなったんだ。好きな人を諦めなきゃいけないという悲しい選択肢しかなかった私にとって、その言葉はどんな言葉よりも優しかった。
やっと諦められそうだった。ずっと近寄ることすらできなかった本屋の近くまで来れた。やっといけるんじゃないかなあって思った。
「なんてことない顔して、一之瀬さん…あ、好きな人に会いに行こうと思った。『これからも友達としてよろしくお願いします』って言おうと思った。でもできなかった。」
本屋の前で足がすくんだ。友達なんて全然思ってない。ずっとずっと好きだったんだ。まだ一之瀬さんが好きだ。結局本屋に入らず、本屋の近くにあるこのカフェに来たら、想くんに鉢合わせたというわけだ。
「諦めの悪い自分自身に嫌気がさしますよ」
「それだけ好きだったってことじゃん
むしろ誇っていいんじゃない?
それだけ好きな人に出会えてよかった、って」
そのとき想くんが左腕につけた腕時計を見て「やべ」と声を発した。
「もう行かなきゃ」
「うん、ごめんね長々と話しちゃって」
席を立った想くんは私を見下ろすような形になった。「いい暇つぶしになったから許す」とニヒルな笑みを向けた。
そして「さっきの話の続きだけど。それだけまっすぐ恋できる実希ちゃんが羨ましいくらいだよ」と、うってかわって優しく笑った。
「またね」とこの前と同じ言葉を残して、想くんは静かな店内を出ていった。