伝えられない想いをショコラに託して
伝えられない想いは…
午後十時を過ぎた頃、仕事用ケータイが鳴る。ビクッと肩が跳ねた後、着信相手を確認する。
「加賀見 徹(かがみとおる)……」
私が家事代行を請け負っているクライアントだ。華やかな空気を纏い、柔らかい笑顔が魅力的。
でも、見た目がすてきなだけではなくて……
徹さんが卒業した大学や起業前に働いていた会社は、みんながよく知る有名だったり大手だったりする。
やはり名門で知られるアメリカの大学に留学した後、お母さんの故郷であるこの町でコンサルタント会社を始めたのだ。
おまけにお義父さん(お母さんの再婚相手)は、様々なグループ会社を持つ『加賀見グループ』のトップだ。
お義父さんは早くに奥さんを亡くしていて、男手一つで二人の息子を育てていた。シングルマザーのお母さんが、そんな加賀見家で住み込み家政婦を始めた。
それから数年後に再婚するのだが、一番身近な息子達を除く周囲に、かなり反対されたそうで……
自分の立場は微妙なものだと、寂しそうに微笑みながら、徹さんは話してくれた。
それでも…高卒で清掃会社で働く私にとっては、雲の上の人には違いない。
お掃除は嫌いじゃないし、何よりこの仕事に誇りを持っているけど……
幼い頃に、両親を事故で亡くした。私を育ててくれた祖父母も、私が二十歳になる前に、相次いで亡くなった。
そんな私をずっと見守ってくれたのが、母の親友の栄子(えいこ)さん。私が今働いている『キヨタクリーンサービス』を、夫婦で経営している。
大きく息を吐いた後、通話ボタンを押す。
「はい、楠(くすのき)です」
「遅い時間にごめんね、灯里(あかり)ちゃん。今、大丈夫?」
直接耳に注がれる、徹さんの甘く優しい声。囚われそうになりながらも、気を逸らすように、一度ギュッと目を閉じた。
「はい、大丈夫ですよ」
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