明日死ぬ僕と100年後の君
「そんなに丁寧に作られてるお弁当、見たことないよ。家族に愛されてるんだろうなって、それ見ただけでわかるっていうか」
大切にされた人間は、きっと他者に奉仕できる心の余裕もあるんだろう。わたしとちがって。
単純にうらやましい。わたしはこんなお弁当を作ってもらったことがないから。
別にそれでもよかったんだ。
残りものや冷凍食品ばかりのお弁当でも、作ってもらえるだけありがたいのはわかってる。
もうちょっと緑や赤がほしいなあと思いはしても、食べたくないなんて嫌悪はなかった。
ただ、お弁当だけじゃなく、あらゆる場面でわたしへの家族の扱いは片手間だったなと思うと寂しくなった。
学校行事の参加率は成長とともにどんどん減っていったし、わたしの友だちのこともお母さんもおばあちゃんもほとんど把握していなかった。
勉強はしろと成績や進路にはうるさいくせに、わたしが勉強で苦戦して悩んでいても、もっとがんばれと他人事だった。
良く言えば子どもとしてじゃなく、ひとりの人間として扱われていたんだろう。
でもそれは信頼してとか、自主性を重んじるとか、そんな綺麗ごとなんかじゃ多分なかった。