いつか恋とか愛にかわったとしてもー前篇ー
「なにかあったか」
顔を上げたすぐそばに、勝子を覗き込む強の瞳があった。
「ううん、なにもない」
「嘘をつくな」
隣で10名ほどの塾生たちが剛と稽古をしているはずだが、何の音も響いてこず、不思議なほど静かだ。
勝子と強の声だけが道場の中に広がり、すぐに消えていく。
勝子の頬に冷たい指先が触れる。
ひかりにバッグで打たれたときの打ち身とわずかな擦傷でうっすら赤くなった部分を、強のほっそりとした親指がなぞった。
微かにひりっとした痛みが走り、勝子は顔をしかめる。
「どうした、これ?」
「なんでもない。慌てて、うっかり本棚にぶつかっちゃっただけ」
そんな適当な言い訳に疑わしげな目を向ける強から離れ、勝子は早く稽古しようよ、と急かした。
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