甘い脅迫生活
「社長はまだ仕事が片付いておりませんので、先に奥様をお送りするようにと仰せつかっております。」
「別に、自分で帰れるんですけど。」
そう言って気付いた。私の家は、もうないんだった。
「最寄り駅からの帰り方は分かっていらっしゃいますか?」
山田さんの鋭い指摘に、苦笑いするしかない。
「そうでした。助かります。」
正直、もう身体はくたくただ。もう寝るだけとはいえ、送ってもらえるのはかなりありがたい。素直に頭を下げれば、山田さんが無表情で固まっている。
「あの、山田さん?」
「社長の戻りは夜中になるかと思います。もう寝ていていい。社長からのご伝言です。」
「はぁ。」
仕事が遅くなるから寝てていいよ、だって。なんだかほんとの夫婦になったみたい。
様子のおかしかった山田さん。気のせいだったのか、私が車に乗るよう、優雅に促してくれる。何度してもなれない。車に乗る前、乗った後、私の一挙一動に気を使われているこの感じが。
金持ちってこれを普段から違和感なくしてるんだから、そりゃ社長とか、ああなるな。
庶民はなんにでも気を使う。だから余裕がなくて、変なところにおどおどしてしまうのかもしれない。