あなたと指先3センチ
「藍田先輩は、素敵ですよね。仕事もできるし、人望もあるし。さっき恵子ちゃんを助けたみたいに、気遣いもあって」
「どした。そんなに褒められても、なんも出ないけど」
先輩がクシャリと目を細めて笑う。
ああ、私この笑顔大好きなんだよね。
先輩って時々無防備な顔で笑う時があって、その瞬間に出会うとすごく幸せな気持ちになる。
「幸せそうな顔してんな」
先輩が笑って、グラスにワインを継ぎ足してくれた。
「先輩のおかげです」
「俺?」
私はクスクス笑いながら、左手でグラスに触れる。
床についた右手は、同じく床についた先輩の左手とやっぱり三センチの距離。
あと少しが、どうしても遠い……。
指先を少しだけ伸ばせば届くけど、そんな勇気はない。
ううん。酔いに任せて少しだけ……。
指先の距離をほんの少し近づけようとしたところで、先輩が話しかけて来た。
「榊が笑うと、なんかこっちまで釣られて笑っちゃうよ」
牽制されたみたいにかけられた声に、違うドキドキが加わって、顔から火が出そうになる。
何やってんの、私。
動かそうとしていた三センチの距離は縮まらず……。
「えぇー。私、変な顔でもしてますか?」
平気なフリでおどけた声を上げ、変に舞い上がる気持ちを誤魔化した。
「そうじゃなくて」
言って先輩が私の目を真っ直ぐに見てくるから、今度は違う意味で舞い上がる。
さっきから感情がない交ぜで、クラクラして来ちゃうよ。
どうしよう。先輩からこんな至近距離で見られたら、心臓がどうにかなってしまいそう。
「榊は、可愛いよ」
……え?
一瞬、心臓が止まったかと思った。
聞き間違い? ……じゃない?
ドクドクと血液が顔に集まってくる。
「先輩、酔って――――」
ませんか――――?
けれど、言葉が最後まで口から出なかった。
離れた席では、西條君がご機嫌に酔っている。
「藍田センパーイ。何小洒落たもの飲んでんですかー!」
西條君が大きな声で言って、先輩に笑いながら絡み始めた。絡まれた先輩は、グラスを右手に持ち上げて、「うまいぞ、これ」なんて言ってまたクシャリと笑うんだ。
私は隣で、もうどうにかなりそうなくらい心臓が早鐘を打っていた。
だって、三センチの距離がゼロになっている。
先輩の手が、私の手に重なっている。
先輩の長い指が、私の手をそっと握るように重なってる。
西條君のおどけた笑い声も。恵子ちゃんたちの控えめな笑い声も。周囲の話し声も、全部が吹き飛ぶくらい自分の心音が耳のそばで聞こえるくらい鳴っていた。
驚く私は、先輩を見たまま目を逸らせない。
「西條、お前飲みすぎだよ」
西條君に言ってケタケタと笑ったあとに、「な」って私の顔を覗き込む先輩に、私はただコクコクと赤い顔で頷いた――――。