君が好きなんて一生言わない。
「椎先輩…」


椎先輩とユズ先輩のやり取りが全く分からなかった私は名前を呼ぶしかできなかった。

眉間にしわを寄せて悲しいような複雑な表情をしている椎先輩は私が名前を呼ぶとパッと穏やかな表情で「なに?」と尋ねる。


「さっきのって…」

「ユズのこと?」

「ユズ先輩、どうされたんですか?というか、何のお話だったんですか?私、全然分かんなくて…」

「うん、なんでもない。大したことじゃないから」


嘘だ。絶対「なんでもない」わけがない。

ユズ先輩の様子も明らかに違うし、椎先輩の様子だって変なのに、何でもないわけがない。

けれど先輩は言う。



「麗ちゃんは気にしないでいいよ」



明らかに、張り付けた表情。

絶対に、隠している。感情を、隠している。

それは分かっているのに、私は聞けなかった。


踏み込む勇気がなかった。






「…ただいま帰りました」


そっと小さな声で、家の玄関を開ける。

ただいま、と言っても、おかえり、の言葉が返って来ることはない。

この家では、私に「おかえり」と言ってくれるひとはいない。

しんと静まり返るこの空間に、自分が存在していることすら申し訳なくなるほど心が締め付けられる。

暗い気持ちで靴を脱いでいると、「清水麗」と名前を呼ばれた。

予想もしていなかった人物の声が聞こえてきて、どきん、と心臓は跳ねた。
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