幽霊と私の年の差恋愛



「うーん、そろそろ出口に着いてもいい頃なんだけど」


ミラーハウスの外に書いてあった説明によれば、出口までの所要時間は約十分間。子ども向けの簡単なアトラクションだと思いタカをくくっていた美波だったが、なかなか出られないことに焦りを感じ始める。

加えて、ミラーハウス内はほんのりと暗い。行き止まりにはピエロの人形が置いてあるなど演出が微妙にホラーテイストだったのもあり、だんだんと二人の口数は減っていった。


「お姉ちゃん……」


美波の焦りが伝わったのか、不意にリトが美波の腰にしがみついてきた。ぎゅっと力が込められた小さな手に、美波は心を奮い立たせる。


「だ、大丈夫だよ、リトくん。外から見ても中はそんなに広くなさそうだったし、きっとすぐ出られるからねっ」


半ば自分に言い聞かせるように、美波はリトを励ました。リトの手には更に力が籠る。


「お姉ちゃん……生きている人と死んでいる人の違いってなんだと思う……?」


唐突に、リトがそう問うた。なんの脈絡もない上、およそ小さな子どもには不釣り合いなその質問に面食らうも、そうか、この子は霊感があるのだったと思い出す。

あまりにも自然に真糸と話しているものだから忘れていたが、今日の自分達を客観的に見たらものすごく不気味な二人組だったに違いない。


「うーん、そうだなぁ。肉体……身体があるかどうかの違いくらい、かな? そう思うと、私達と真糸さんってあんまり変わらないのかも……」


何と答えるのが正解か分からず、美波は思ったままを口にした。

実際、真糸と出会うまでは生と死とは真逆なものだと思っていた。しかし実は生の先に死があるのであって、ベクトルとしては同じなのだ。

それは美波にとってただ時系列の前か後かということで、子どもに分かりやすく説明するとなれば身体があるかないかということに結びついた。


「……ボクにはね、双子の弟がいたんだ。でも赤ちゃんの頃、乗っていた車が事故に遭ってボク達二人とも大きな怪我をした。それで弟は死んじゃって、ボクは生き残っちゃった。弟より、ボクの方が生きたいって気持ちが強かったから」


リトの言葉に、美波は目の前がぐらりと揺れるような錯覚を起こした。小さな子どもがそんな痛ましい過去を背負う苦しさは、いかばかりだろう。


「そんな……生き残っちゃったなんて悲しい言葉……使わないでよ……弟くんだって生きたかっただろうけど、それは思いの強さでどうにか出来ることじゃないから……」


何と言っていいか分からず、美波は震える声でそう返す。心臓がどくんどくんと脈打ち、鏡の中の自分がぐにゃりと歪んだような気がした。


「うん、弟は生きたがってた。でも、生きたい気持ちはボクの方が強かったんだ……」


心臓の鼓動が、また一つ高く、速くなった。それに伴い、周りを取り囲むたくさんの『美波』が一人、また一人とぐにゃぐにゃ歪み出す。


まずいーーー。


直感的に美波はそう感じるが、すでに身体は立っているだけがやっとだった。足の裏がその場に張り付けられたように、一歩も踏み出すことが出来ない。





「だからね、ボク……死ぬ直前に、弟の身体取っちゃったんだ」





リトの言葉の意味を考えるより早く、ずるりと身体から何かが引きずり出されそうな感覚が襲った。


(まずいまずいまずい……!!)


頭の中で警鐘が鳴り響く。危険だ、この少年から離れなければ。本能がそう叫ぶ。美波は無我夢中で何とか手を動かし、リトを振りほどいた。

どさりと、重い身体が冷たい床に倒れ伏す。腰をしたたかにぶつけたが、今は痛みを感じている暇などない。


「最初に会った時から思ってたんだ……お姉ちゃんは心と身体がすごく『フアンテイ』だよね……」


美波は何とか身体を起こすと、鏡の壁を伝って懸命に足を動かす。

とにかく逃げなければという本能が、美波を突き動かした。


「ボクの身体、もうすぐダメになっちゃうみたいなんだ……そうしたら、お姉ちゃんみたいに『フアンテイ』な人を見つけて身体をもらえば良いんだって」


リトの言葉からは、何の感情も読み取れない。その平坦な声音に、美波の恐怖が膨れ上がる。


「ねぇ……お姉ちゃんの身体(うつわ)、ちょうだい……?」


平坦なリトの言葉に少しだけ感情が乗った気がして、美波は思わず振り返ってしまった。


「あっ……」


目が合った。

その無表情は、およそ先程まで年相応にはしゃいでいたリトとは別人だった。まっすぐ美波を見つめる瞳には、一筋の光すら宿っていない。

しかし何故か、美波にはリトが泣いているように見えたのだ。


「リトくん……」


リトの手が、ゆっくりと美波に伸ばされる。

この手を掴めばもしかしたら、この哀れな少年を助けることが出来るのかもしれない。

伸ばされたリトの手に向けて、美波もまた手を伸ばす。




あと少しで、指先が触れ合う。




「そこまでだ」



少年とはまるで違うゴツゴツとした手の感触が、美波の意識を呼び戻した。

はっとして顔を上げると、そこにあったのは丸眼鏡をかけた端正な顔立ち。口の端ににやりと悪巧みをするような笑みを浮かべていた。


「真糸、さん……」


「こっち、急いで」


真糸に手を引かれるまま、美波は走る。足をもつれさせながらも、鏡の中を懸命に走り抜ける。





『要らない身体のくせに』




『死のうとしたくせに』




『あの子を見殺しにするの?』




何人もの美波が、鏡の中から問いかける。




「お姉ちゃん、待ってよ」




リトが美波を追いかける。




『生きている人と死んでいる人』




『身体があるかどうかでしょ?』




『そんな小さな違い、しがみつく必要ある?』




そうだ、真糸だって、身体はないけれど話すことも、こうして時々触れ合うことも出来る。

身体なんて『器』だ。必ずしも必要なものではない。




「その認識は間違っている」




その声は頭の中ではなく、すぐ真上から鼓膜を通して聞こえた。




「確かに生者と死者の違いは身体の有無とも言えるが、そもそも違いの『数』に焦点を当てては肝心なところを見失う」


走る足は止めないまま、真糸は繋いでいない方の手で眼鏡を押し上げた。


「重要なのは身体があるのとないのとではどのような違いがあるかということだ。君はこの問いに答えられるかい?」



真糸はちらりと、美波に目を向けた。



「そんなものは、僕がこの身をもって証明してあげるよ。だから君が試してみる必要はない」




永遠に続くと思われた鏡の迷宮は、真糸の導きによって終わりを告げた。









「ここ…は…」


人々の楽しげなざわめきと、賑やかな音楽。異国情緒溢れる街並み。

先程までのテーマパーク内と、何一つ変わりない風景がそこには広がっていた。


「戻っ……て、きた……」


美波はミラーハウスの出口に、茫然と立ち尽くしていた。身体が鉛のように重く、ここまで走ってきたことが嘘のように指一本動かすことが億劫だ。


「美波ちゃん、大丈夫?」


のろのろと何とか振り返ると、美波を護るようにして立つ真糸の向こう側に、小さな少年の姿があった。


「里緒ー! どこにいるのー!? 里緒ー!!」


遠くから、誰かを呼ぶ男女の声がする。そして二人はこちらに気付くと、慌てたように駆け寄ってきた。その声と姿を認めたリトは、諦めたようにため息を吐いた。


「え……リオ、くん……って……」


美波の疑問に、リトは小さく笑った。それはまるでイタズラがバレた時のような、少しだけバツの悪そうな笑みだった。


「里緒は、ボクの弟の名前。これ、身体は一応弟のものだから」


やがてやってきたリトの両親らしき二人は、息を切らしながら少年を腕の中に収めた。


「里緒! 何やってるんだ! 心配したんだぞ!」


「無事で良かったわ、里緒……! 本当に良かった……」


真剣な両親の瞳に、リトは俯いたまま肩を震わせた。


「ごめんなさい……」


ぼろぼろと、大粒の涙が少年の日に焼けた頬に伝う。それを見て、母親も堪えきれずに嗚咽を漏らした。


「私……また大切な子どもを失うのかとっ……きっと里斗が護ってくれたんだわ……」


そんな母親の言葉を何も言わず受け止めるリトに、美波はやりきれない思いになった。ひとしきり抱擁したあと、両親はやっと美波の存在に気付いたかのようにこちらを見た。


「息子を助けていただいて、本当にありがとうございました……」


「なんてお礼を申し上げて良いやら……」


リトが話していた通り、両親は四十代も半ばかという頃合の二人だった。そんな目上の二人に畏まられ、美波も恐縮し通しだった。

何かお礼をしたいという両親の申し出を丁重に断り、やがて親子は何度も頭を下げながら帰路につく。


「あっ! お姉ちゃん!」


両親に挟まれて歩き出したリトだったが、ふと思い立ったように小走りで引き返してきた。


「その……意地悪して、ごめんね?」


潤んだ瞳に見上げられて、美波は反射的に首を横に振る。


「それから……今日はすごく楽しかった。お兄ちゃんも、ありがとね」


それだけ言うと、リトは満足したのか再び両親の方へと駆け出した。


「あとねっ! お子様ランチすっごく美味しかったーっ!!」


一度振り返り、大きな声で叫んで手を振ると、今度は振り返らずに両親と共に人混みの中へ消えていった。














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