幽霊と私の年の差恋愛
栞は夢を見た。
かつての恋人と、研究室で海外の論文を読み漁っている夢だった。
『真野君、ちょっとそこの資料、取ってくれる?』
彼は仕事中、自分のことを苗字で呼んでいた。周りに自分達の関係は周知していない。秘密の関係というやつがくすぐったかった。
彼がベッドで囁くファーストネームには、いつも熱が込められているのを知っている。
ふと彼と指が触れ合った。とくんと、心臓が鳴った。
『私、あなたに付いていけるか不安なのよっ……』
そんな言葉を彼に投げてしまったのは、今思えばただのマリッジブルーだったのかもしれない。
寂しかった。引き止めて欲しかった。そんな不純で邪な駆け引きで、彼を自ら手放してしまった。
「夢……」
ベッドから身を起こし、栞はぼんやりと時計を見た。
時刻は夕方の四時を指している。大学を辞める前は、こんな時間に眠っているなど有り得なかった。西日が目に痛い。
「真糸……ごめんね……」
頭痛がした。昨晩は少し、飲みすぎてしまったせいだろうか。ふらつきながら立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口飲み込む。
胸を冷たい塊が通り抜け、胃に落ちていく。次の一口で、頭痛薬を流し込んだ。
栞は頭の中で、本日来店予定のとある客を思い浮かべる。
ーーー秋中雄一。学問の話が出来る女として、栞のことをいたく気に入っている太客だ。今日は仕事を休む訳にはいかない。
「真糸……あなたのために、私頑張るからね……」
そう呟けば、どこからともなく真糸の声が聞こえる気がした。
ーーー無理しないでね、栞。君はいつも頑張りすぎだから……。
そんなふうに自分をよく心配してくれていた、優しい真糸。思い出すと胸が暖かくなり、自然と笑がこぼれる。
「待っててね……必ず、また一緒に笑える日が来るから……」
栞は目を閉じ、心の中の真糸にそっと語りかけた。