love*colors
「店長ー! お先失礼しまーす」
「おー、お疲れー! 気をつけて帰れよー」
「うぃーす!」

 バイトの富永が原付で走り去るのを見送ってから、ズボンのポケットの中から煙草の箱を取り出した。最後の一本に火を付け、空になった空き箱をクシャッとつぶしてポケットに突っ込んだ。
 煙草は吸うがヘビースモーカーというわけではない。世の中は禁煙傾向、やめようと試みたことは一度や二度ではないし、本数も昔ほどではなくなったが、仕事の後の一服だけはどうしてもやめられない。

 目の前の通りは、この時間車通りも少ない。大通りとはいえ、所詮田舎町。夜が更けてからの交通量などたかが知れている。
 駅方面からやってくるバスが目の前のバス停には停まらず通過して行った。たまにではあるが、これくらいの時間にバスから降りる日南子の姿を見たことがある。

「……」

 これじゃ、まるで彼女の帰りを待っているみたいだ。そんな事を考えて自分の行動の気味悪さに身震いした。
 
「……引くわ、」

 年頃の娘の帰りを玄関で待ち構える親父かっつうの。

 たかが二週間。されど二週間。
 近所に住むただの常連客の顔を見れないことに寂しさを感じるなど、なんともバカバカしくて笑えてしまう。

「それにしても暑いな……」

 ふわ、と生ぬるい風が吹いた。
 夜風はすでに湿気を伴い肌に張り付くような感覚が残る。巽はゆっくりと煙草の煙を吐き出しながら空を見上げた。本格的な夏ももうすぐ目の前だ。


   *  *  *
 

 久しぶりに日南子が店に姿を現したのはそれから数日後だった。午後九時近く、いつもより少し遅い時間に格子戸を開け、店に入るやいなやスンスンと鼻を鳴らし嬉しそうな顔をした。

「あ。青野さん!」
「こんばんは」

 ちょうどレジ前にいた富永が彼女を出迎え、奥へと促した。

「おー。久々だな、青ちゃん」
「やっと来れたぁー」

 そう言った彼女は定位置であるカウンターの端に座るとその座り心地に満足したように微笑んだ。

「何してた?」
「いや……何ってわけじゃないんですけど、出張あったり用事で来れなかったりで。今日も明日からのセールの準備で朝からバタバタで……」
「ビール、飲むか?」
「はい。うーんと冷えたヤツがいいです」
「メシは? 食う?」
「もちろん食べますよぉ! 今日の定食なんですか?」
「生姜焼き」
「じゃ、それでっ!」

 久しぶりに会う日南子は特に変わった様子もなく、見るからに元気そうだった。冷えたビールを彼女の目の前に置くと、それを受け取った彼女が「いただきます」と言ってそれを豪快に半分ほど飲みほして口に付いた泡を拭った。

「──っは。生き返る」
「……オッサンかよ」

 半ば呆れ顔でそう言いながらも自然と巽自身の頬も緩む。

「やっぱ、ここが一番落ち着きます。来られない間、巽さんのご飯が恋しくて恋しくて」
「……そりゃ、どうも」
「私、巽さんのご飯食べないと生きていけないかもです」
「はぁ?!」
「や。本当ですよ?」
 
 そう言って日南子は本当に幸せそうな顔をする。

 ああ。悪くない。彼女のこの反応。彼女の言葉は表現こそ大袈裟であるものの、こんなことを言われて正直嬉しくないわけがない。

「そーいや、この間灰原くん来てくれたよ」
「え? そうなんですかー? 灰原くん、元気してました?」

 笑いながら訊ねた日南子に巽は思わず眉を寄せる。

「え。ちょい待て待て……それおかしいだろ。同じ会社だろ?」
「そうなんですけど。彼、いま隣町勤務なんで意外と顔合わせる機会なくって。週一くらいで本社に顔出してるみたいなんですけどタイミングが悪いのか全然会ってないんです」
「……ああ。そういうこと」

 確かに同じ職場とはいえ勤務店が変われば顔を合わせる機会も減るだろうが、彼の方は日南子の動向を意外と知っているようだった。

「そーいや。彼氏できたんだって?」

 そう何気なく訊ねると、日南子が驚いた顔をした。同時にその顔を照れくさそうに歪ませ、少し恨めしそうに巽を睨んだ。

「……何で知ってるんですか」
「えらいイケメン彼氏らしーじゃん」
「もー、巽さんなんでそんなことまで知ってるんですか」
「小耳に挟んだ」
「どーせ、灰原くんでしょう?」

 いままでの会話の流れでどこからの情報かくらい日南子にも察しがついたのだろう。諦めたように息を吐いた。

「上手くいってんの?」
「……はい。彼、凄く優しいです」

 答えながら頬を赤らめる日南子の姿に、微笑ましい気持ちになる。

「なんで言わねーの。お祝いにメシくらいサービスすんのに」
「や。……なんか、恥ずかしくて。だってこういうの久々過ぎるんだもん」

 動揺しているのか、普段外れることのない敬語が外れているところも普段の日南子と違ってつい笑いが漏れる。

「ははっ。初々しいなー、おい」
「からかわないでくださいよー! ほんっと免疫なくていろいろ迷走中なんですから」

 彼氏のことを思い出しているのか、ますます顔を赤くする日南子が新鮮だった。
 
「何だ?悩みあんなら相談乗ってやろうか?」
「巽さん、……ちょっと面白がってるでしょう?」
「違げぇよ。応援してんだって! ……こう見えて俺だって男の“はしくれ”だぞ? なんかアドバイス的な事できるかもだろ」

 多少、興味本位なのは否めないが、巽自身日南子の恋愛を応援しているのは本当だ。悪い子じゃない。むしろいい子だ。そういうチャンスが訪れたのなら幸せになって欲しいと思う気持ちに嘘はない。

「……」

 日南子が手元のグラスを弄びながら巽の真意を探るような眼差しを向ける。

「だーかーら。なんだよその疑いの目は」
「見極めてるんです。面白がってるのか、純粋に応援してくれてるのか」
「だから。応援してるっつってんだろー」
「巽さん。それよりお腹すきました」

 そう言われてハッとする。ビールだけ出して油を売ってる暇などなかった。

「悪りぃ、悪りぃ。すぐ用意すっから待っててな」
「大至急お願いします」
「へいへい」

 余程腹が減っているのか珍しく急かすようなことを言う日南子にクスと笑うと、慌てて厨房に入った。
 食事の用意をしていると、フロアのほうから日南子と富永の笑い声が聞こえる。明るく誰とでもすぐに打ち解ける彼女。独特の人懐っこさと、自覚のない天然さ。彼女の魅力に気づく男も、そりゃ大勢いるだろう。

「……ふっ、」

 久しぶりに聞く、明るい声。この店に訪れる常連客の中でも、彼女の存在はなぜか特別だ。

   *

「そーいや、青野さん。この間の美人さん、また連れて来てくださいよ」

 ラストオーダーの時間を過ぎた日南子以外の客の誰もいない店内。彼女の座る席から一席空けたところでガツガツとまかないを食べながら富永が言った。

「あ。雪美さんのことー?」

 日南子が食後のコーヒーを飲みながら答えた。

「雪美さんっつーんですか、彼女。つか、超美人じゃないすかー! マジヤバイっすね‼」
「あはは。でしょうー?」
「彼氏とか、いるんすか?」
「いない……いや、いるのかな?」

 日南子がうーんと考える仕草をする。

「どっちだよ」

 巽が突っ込むと、日南子がコーヒーカップをソーサーの上に戻した。

「いや。この間パーティーで会った男の人とたまに会ったりしてるみたいなんですけど、ちゃんと付き合ってるのかどうかまでは知らなくて」
「会ってんなら、付き合ってんじゃねーの?」
「……そうなのかな。ちゃんと付き合ってるとかは聞いてないです、まだ」
「んじゃ。まだチャンスあり、っすかね?」

 口の中をいっぱいにしながら、富永が日南子を見る。

「……え? 富永くん、雪美さんの事好きなの?」
「や。わかんないっすけど。一目惚れっつーか、いいなーって」
「そうなんだ」

 確かに日南子が店につれて来た白井雪美は、世間一般的に誰がどう見てもそれを認めるような美人だ。若い富永が思わず一目惚れする気持ちも分からなくはない。

「じゃあ、また詳しく聞いとくね」
「いいんすか?! つーか、近いうち連れて来てくださいよー」
「うん。雪美さんもまた来たいって言ってたから今度ね」

 そう言って微笑んだ日南子の笑顔には富永を落胆させないための気遣いが感じられた。

   *
 
「あんま気ぃ使わなくていいからな、富永に」

 富永が帰ってから一応ひとこと言っておいた。白井雪美自身が、富永の好意を実際どう感じるかは分からないが、適齢期の女性からみて富永が彼女の恋愛“圏内”に入ることは実際難しいような気がする。

「はい。……でも、雪美さんにこの人だ! って人がいないなら、富永くんにだってチャンスはゼロとは言えないし」
「人がいいな、青ちゃんは」
「……そういうんじゃないですよ。最近、私思うことがあって」
「んー?」

 相槌を打ちながら、巽は日南子のカップにコーヒーを注ぎ足した。

「私、恋愛とか結婚に憧れてたんですけど……それって本当に憧れだけで。相手の人とちゃんと向き合うってことしてなかったのかなーって。相手と向き合って、その人をちゃんと見てたら見えてくることもあるでしょう? だから、初めからナシにしちゃうのはどうかなって」
「──それ、彼氏のこと?」
「あ……はい。実際、まだちゃんとした彼氏ってわけじゃないんです。それこそ“友達から”ってやつで。何回か会って……お互いそういう気持ちになれたらつきあおうか、っていういわゆるお試し期間っていうか」
「──ははっ、お試しか。それもいいかもな」

 誰だって傷つきたくはない。そういう距離の取り方だって選択のひとつだ。

「……だから、巽さんに言えなかったのもあって。別に内緒にしてたとかそういうんじゃ……」
「そっか。んじゃ、正式に付き合う事んなったら店にも連れて来な。上手く行きゃ俺も嬉しいし」
「はい」

 日南子がほんの少し頬を染めながら返事をした。

 相手と向き合う──か。彼女らしい真っ直ぐな答えを微笑ましく思う中、胸の奥で感じた一筋の寂しさのようなものを打ち消した。

「じゃあ、そろそろ……」

 何回か巽が注ぎ足したコーヒーを飲み切った日南子が椅子から立ち上がった。会計を済ませ、カラカラ…と格子戸を開け外に出た彼女の後を追う。

「途中まで送るわ」
「えー? いいですよ、わざわざ」

 日南子が遠慮がちに片手を胸の前で振った。

「ついでだっての」
「あ。もしかしてまた煙草ですか?」
「ははっ。バレた」

 そう言ってズボンのポケットに手を入れると、そこには煙草の箱が。

「……」

 あと数本残ってはいるが、どうせすぐ買いに出なければならないのは事実だし。と心の中で言い訳めいたことを考えながら、店の戸締りをして彼女の後を追った。

「あんまり吸うと身体に毒ですよー?」
「分かっちゃいるけどやめらんねーのよ。つか、嗜む程度だしな、俺の場合」
「そうなんですか? 確かにあんまり見たことないけど」
「そりゃそーだろうよ。青ちゃんと会うの店でだしな」
「あ。そっか」

 以前彼女を送った時より、肩の距離が近い。傘がないぶん、それは当たり前の事なのだが。
 小さな肩だな、と思う。口実を作って彼女を送るなど、我ながららしくないが、いくら近所だとはいえこんな夜遅くに若い女の子を暗い夜道の中一人で帰すなど、大人の男としてどうかと思う、と自分の行動を正当化した。実際、市内で猥褻目的の事件も多発している。

「今日は風が気持ちいいですねー」

 日南子が独り言のように呟いた。ここ最近、蒸し暑く感じる夜が続いていた。サワサワと吹く風が久しぶりに心地良い。

「そだな」

 そう思うのにはもうひとつ理由がある。なぜだか分からないが、彼女はいつもどんなときも柔らかな空気を纏い、それが自然とこちらに伝染する。この心地よさもまた“父兄的な意味で”なのだろうか。


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