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【3】青野日南子の場合②
「──で、どーなのよ日南子サン?」
冷蔵庫からもう何本目かになるだろうカクテル飲料を取り出した緑が訊ねた。
アパレル関係の仕事をしている緑も日南子と同じ不定休。久しぶりに合致した休みに二人がチョイスしたのは、移動や翌日のことを考えず気兼ねなく飲める家飲み。実家暮らしの緑が日南子の部屋に泊まりに来るというのがお決まりのパターンだ。
昼間用事があると言ってた緑の為に、日南子が簡単な夕食を準備し振る舞った。一人暮らし歴ももう三年。料理の腕も少しずつではあるが上がっている……と思いたい。
「ねー、日南子。食後になんか甘いもんないー?」
「チョコならあるよー?」
冷蔵庫から、冷えたチョコを取り出して手渡すと、緑がそれを受け取りリビングへ向かう。
キッチンを片付けて、緑と同じように新しいカクテル飲料を片手にリビングのソファに座った。食後のこのまったりとした時間が至福の時だ。
「で、で、で? どうなのよ、日南子」
「どう……って?」
「しらばっくれんな。山吹くんと、どこまで行ったの?」
少し食い気味に身体を寄せて来る緑に気押されるように身構えた。
「何回かご飯デートした。来週遊園地デート」
「え、え、え。……最初のご飯デートからもう一カ月以上経ってんじゃん!! 何ソレ何ソレ、進展遅くない?」
「……遅くないよ。それにまだ正式に付き合ってるわけじゃないんだし」
山吹とは、あれから何度か食事に行った。最初はお互い仕事帰り。それから日南子が休みの日に彼が仕事帰りに迎えに来てくれたり、彼が休みの日に日南子の仕事帰りに職場近くまで迎えに来てくれたりと、そのやり取りやパターンにもようやく慣れつつある。
ようやく来週末に休みが取れることになり、初めての昼間デートの約束をしている。
「遊園地ってどこ行くの? もしかしてお泊まり?!」
「ち、……違うってば!普通に日帰り!!」
「えー? 何ソレつまんなーい」
緑があからさまにがっかりしたように下唇を突き出した。
「山吹くん、どうなの? どんな人?」
緑が多少食い気味なのは仕方のないこと。彼とお試し交際することを電話で彼女に報告してからこっち、なかなか休みが合わず詳細を話せずにあっという間に一カ月が過ぎ去った。
「どう……って、いい人だよ。すごく優しいし」
「で?」
「で……って?」
「そんだけ? 他にもっとあんでしょーよ! 彼のイイとこ」
「ああ、うん。もちろん。……年下だけどスマートで、話も合うって言うか……おもしろいとこもあるし、ちょっとかわいかったりもするし」
並べた言葉を心の中で反芻すると、彼の人懐っこい笑顔が頭に思い浮かんだ。
「ねぇ。キスくらいした?」
緑の顔がさらに近づき、その目の鋭さに磨きがかかる。
「……ま、まだだよ」
「んもぅー !何やってんの山吹~! 草食かっ!!」
緑がボス、っと残念そうにソファの上のクッションをグーで叩いた。しかも、会ったこともない彼の事をすでに呼び捨てにしている。
「緑ってば、落ち着こうよー。ほら、何度も言うけど私たちまだお試しだから……」
「何言ってんの日南子。そこも込みでのお試しでしょーが。付き合った後に、いざ! ってなって……やっぱ無理でした、ってほうがヤバイじゃないの」
「……そういうもん?」
「そういうもんなの! あえてそういう期間設けてるんだったら、ありとあらゆること試しといたほうがいいわよ」
「……はぁ」
ありとあらゆる……ってなんなんだ、と聞き返すのは無粋というものだろう。緑の訳のわからない説得力に負けて、日南子は思わずそれに頷いてしまった。
「言ったでしょー? 現実味のある恋愛しな、って。恋愛ごっこはダメよ? なんとなーく、そういう人ができて、デートとかそういうのひととおりこなして恋愛ってこんな感じかな? って疑似体験してるだけじゃ!」
緑がビシッ、と日南子の額を指さす。緑のこのサバサバキビキビとした指摘が好きだ。口では厳しく少し過激な事もいうけれど、本気で日南子を心配してくれてるのが伝わる。
「……ちゃんと、知ろうって思ってるよ。山吹くんのこと。もっともっと知ったらきっと好きになるんじゃないかな、って思ったりもしてる」
山吹を好ましく思う気持ちはある。ただ、それイコール恋愛感情かと言われれば答えに迷う。ただ、いま現時点で、好意を持っていることは事実だ。
「なーら、いいけど」
緑がチョコをつまんでパクっと素早く口に放り込んだ。
「いーい? 無理は禁物よ?! アンタ恋愛初心者なんだから! もし、ヤツがそのうちキスやらセックスやら迫って来て『嫌だ』って思うなら蹴り飛ばしてもいいんだからね!」
「え?」
さっきは、試しちゃえなどとどちらかと言えば焚きつけてきたくせに、今度は蹴り飛ばせって……一体どっちなんだろうと目をパチクリしていると、緑が日南子の頭をクシャクシャとかきまぜた。
「──要は、自分の心に正直に、ってこと」
「……う、ん?」
「現実味は大事。いろいろ試してみることも大事。でも、心偽ったらダメだから。
あのね。いろいろ言ったけど──、好きな人とそうじゃない人をカンタンに見分けられる方法教えてあげる」
そう言った緑の目が柔らかく緩んだ。
「そこそこ好きな人にもそれなりにドキドキするし、手くらい繋げる。──でも、本当に好きな人じゃなきゃダメだってもの……変わりがないものが絶対あるの。自分から触れたいとか触れられたいとか、そんなふうに思える人が日南子の本当に好きな人だよ」
「うん」
いくら恋愛初心者とはいえ、日南子にもそれくらいの事は分かる。
「まぁいいや。また進展あったらちゃんと報告しなさいよー?」
「……分かってる。てゆーか、人の事ばっかで緑こそ佑ちゃんとどうなのー? 最近」
今度は日南子が切り返す。あれこれ追求を受けた後だ。こちらとて聞く権利はある。
佑ちゃんとは、緑の彼氏だ。高校のクラスメートで、日南子とも友人。付き合いも長く、学生時代にはちょっとしたすれ違いや喧嘩で何度か別れたりくっついたりを繰り返していたが、二人の仲のよさは日南子が一番よく知っている。
「あー、うん。来年結婚する、たぶん」
サラリ、とまるでちょっとコンビニ行って来るわ……くらいの気軽さで吐かれた言葉に驚いて、思わず力の入った日南子の手にしたカクテル飲料缶がパキと音を立てた。
「──えっ、本当?!」
「や。なんか、正月に佑ちゃんとこ顔出したときになんかそういう流れ? ……みたいになって。正月早々、あっちの親に掴まって『いつ結婚すんだー』みたいな?」
「やだ。全然知らなかったー! 言ってくれないんだもん、緑!」
「……ていうかね。まだ曖昧なのよ。来年あたりにするー? みたいな口約束程度で」
「おめでとうー! やだ。嬉しいー!!」
勢い余って緑に抱きつくと、彼女が日南子をしっかりと受け止めた。
「佑ちゃんからのプロポーズは?!」
今度は日南子が興奮する番。親友の結婚を心から喜ばない友達はいない。
「や。だからー、そういうのもまだで。てゆーか、あんた焦り過ぎだからね」
「だって、嬉しいんだもん!」
「ドウドウ……そう興奮しない」
緑が日南子の背中をポンポンと叩きながら笑った。
「もー、馬じゃないってばー!」
「あははっ」
「ね、緑! 今夜はとことん飲んじゃおう! お祝いしよ!!」
「言われなくても飲んでますー。お祝はもっと豪華に別でやってくださいー」
「そりゃ、やるけどっ!」
心の底から湧き上がる嬉しさに自然と涙が滲む。
いつか日南子の結婚が決まった時、緑も今の日南子と同じように心から喜んでくれるのだろうか。そんな日がそう遠くないといい──、そんな事を思いながらもう一度緑をギュッと抱きしめた。