love*colors

 緑の彼である佑ちゃんにマンションまで送ってもらったのは午後十時過ぎ。真っ暗な部屋の明かりをつけ、籠った空気を入れ替えるため部屋の窓を開けると、とりあえず荷物を置きソファに沈み込むように座る。

「……お腹、苦しい」

 小さく呟いてバックの中からスマホを取り出すと、ちょうど手の中でスマホが鳴った。画面の中にLINEのメッセージ。その送り主の名前に思わず心臓が飛び上がって、日南子はスマホを両手で握りしめた。

【この間のお礼、何がいい?】

 メッセージの主は、巽だ。何度かこういったやり取りをする仲になったが、彼の言葉はいつも簡潔。流行りの絵文字や顔文字、スタンプの類は一切ないとてもシンプルなところがなんとも彼らしい。
 この間のお礼、──とは巽が風邪をひいたときの事。日南子が自分がしたくて勝手にあれこれ世話を焼いただけなのだが、巽がその礼をしたいと言ってくれている事だ。
 正直、彼にお礼をして貰うほどの事は何もしていない。どちらかと言えば、日南子のほうが彼の世話になっていることのほうが多いくらいだ。

 何かアプローチしなよ、という緑の言葉を思い出した。
 緑の言うように、せっかくなら特別な事にその貴重なチャンスを使いたい。そもそも何がいい、と向こうが訊ねてくれているのだ。少しくらい欲を出してみても、巽はそれを聞き入れてくれそうな気がする。

「何か……、」

 そう呟いて天井を仰ぎ見る。
 ──出掛けるってどこへ? いかにもデートみたいな気負いが見えるのも照れくさいし、断わられるのもへこむ。さりげなくて、気軽な感じの──、と考えあぐねているところに、開け放った窓の外から祭囃子《まつりばやし》の音が聞こえてきた。

「お祭りとか……?」

 再来週の週末行われる地域の祭りで、さほど大きな祭りではないが、毎年けっこうな賑わいをみせる。そういえば去年も一昨年も店を休み手伝いに駆り出されていたと言っていた。もしかしたら、少しくらいなら巽も時間が取れるかもしれない。
 いい案だと思った。地域の小さな祭り程度なら、日南子の誘いにも気軽に応じてくれるかもしれないし、まともにどこかへ誘うよりはわざとらしくなく自然な気がする。

【再来週のお祭りの日は、今年もお店お休みですか? もし、巽さん時間が取れれば行ってみたいです】

 そう勢いよく文字を打って、これまた勢いよく送信。スマホを胸に抱いたまま返信を待つ。


 待つこと五分。いまだ返信ナシ。当たり前だ、巽だってひまじゃないのだ。
 そんなことは分かり切っているのに、たかがメッセージひとつをこんなにも心待ちにしてしまう自分に呆れてしまう。

「返事くるかなぁ……」

 巽の性格からして、たとえ断わるにしても返信はくれるだろうが、こんなにも心が落ち着かないのはやはり相手が巽だから。山吹とお試しではあるが付き合っていた頃とは全然違う。
 彼への好意は恋ではなかったのだと、今ならはっきりと分かる。

「──よしっと!」

 何もせずに待っていても仕方ないと、立ち上がり動き出す。浴室に行ってお湯を張ってリビングに戻ってきた瞬間、スマホが鳴っていることに気づいてピョン、と飛び上がる。ソファの上に放置されたスマホを慌てて掴んで電話に出た。

「──もしもしっ、……っ、」
『あー、俺。巽だけど』

 電話で返して来るという想定外の事に、日南子の心臓が跳ね上がる。

『──何か、取り込み中だった?』
「え?」
『なんか、息上がってね? 取り込み中だったら掛け直すけど』
「──あ、大丈夫ですっ! び、ビックリしたんです。電話掛かって来るなんて思ってなかったから」
『はは、悪りぃ。電話のが早いかと思って』

 巽が電話の向こうで笑った。直接耳元で響く彼の声に、ますます鼓動が激しくなる。

『──いいよ。土曜なら』
「へ?」
『へ、じゃねぇっつの。……あれ? 祭り行きたいっつーLINE来たの、気のせいか?』
「き、気のせいじゃないです、気のせいじゃ! ……送りましたっ、私が」

 そこでふと考える。去年までは何か準備に駆り出されていたはずだ。

「あの、巽さん。今年、お手伝いとかは……?」
『ああ。夕方まで準備あるから、七時過ぎとかでよけりゃ……』
「いいんですか?」
『ははっ。それこっちのセリフだよ。お礼、そんなんでいいのかよ?』
「はい。私、行ってみたくて」

 自然な会話ができているだろうか。了承の返事を貰えたことで舞い上がっているのか、自分で何を喋っているのかよく分からない感じになっている。

『欲ねぇなあ、青ちゃんは』
「そんなことないですよ」

 欲ならある。“お礼”を口実にこうして二人で会うチャンスを作るのに必死だ。

 電話を切ったあとも尚、ドキドキとせわしない心臓。握りしめたままのスマホを胸に当て、目を閉じる。
 目を閉じると思い出すのは、巽の腕と胸の感触。

 巽にも、緑にも言ってない事がある。
 あの夜、うなされていた巽の手を握ったと彼に話した──、実はあれにはまだ続きがあった。

   *

 何かにうなされながら宙をもがく巽の腕。その手が必死に助けを求めているように感じて、日南子は彼の手を取って握りしめた。
 ギュウ、と力強くすがるように握り返される手。

『……巽さん、大丈夫だから』

 彼を少しでも安心させたくて訳も分からずそう小さく声を掛けると、ほんの一瞬巽が目を開いた。ふわふわと辺りを彷徨う視線、焦点が定まっていない事から彼がまだ覚醒したわけではないのだということが窺えた。
 
『巽さん、』

 もう一度声を掛けると、ふいに起きあがった巽が日南子を引き寄せ、そのまま力強く抱きしめた。

『巽さ、ん……?』

 しがみつく様に、すがりつく様に。これ以上ないほど力強く日南子を抱きしめた。巽がなぜそんなことをしたのかは分からない。夢の続きを見ていただけなのか、日南子を誰かと重ね間違えたのか。
 巽の手は震えていた。熱があるというのに、そこだけ驚くほど冷たかった。日南子はされるがままただじっと巽の腕の中にいた。いま、この瞬間、自分が傍にいなくては、と思った。
 たとえそれが誰かの代わりでも、たとえ彼の記憶に残らなかったとしても──。

 巽の胸の中は温かかった。
 ただ、包まれているだけで涙が出そうだった。

 しばらくの間、そうしていた。日南子は巽の手を握りしめたまま。
 次第に彼の手のひらに日南子の体温が移り温かくなってくる。そのうち、ゆるゆると巽の身体から力が抜けて再びベッドに倒れ込むようにして眠りについた。
 


 目尻に薄く滲む涙のあと。
 彼は心の奥に一体何を抱えているのだろう?



 知りたいと思った。彼を守りたいと思った。
 胸の奥で急速に育っていく彼への想いに戸惑いつつも、その想いがすでに止められないところまで来ていると自覚した。

 どうしようもない、好きになってしまったものは。
 どうしようもない、この気持ちを止められないのは。
 包んでしまえたらいい。巽の抱えているものまるごと全部。



 *  *  *


 そうして迎えた秋祭りの日。

「ふふ。かわいいじゃん、青野」

 わざわざ日南子のマンションまでやってきて浴衣を着付けてくれた雪美が、鏡に映る日南子を見つめながら満足そうに頷いた。近所の秋祭りとはいえ、せっかく二人で出掛けるチャンスなのだ。少しでも女子力を上げて、彼に一瞬でも可愛いと思ってもらいたい。そんな思いから以前着付け教室に通っていたことがある雪美に相談を持ちかけると、雪美は快く着つけを引き受けてくれた。
 職場の先輩でプライベートでも仲がいい雪美とは、親友の緑同様、日南子にとって何でも相談できる仲だ。

「ふふふ。巽さん、褒めてくれるといいねぇー」

 ニヤ、と笑った雪美の言葉に日南子は照れくさそうに顔を歪めた。

「今更ですけど、なんか気合い入り過ぎって思われたりしないかなぁ」

 日南子にとってはデートのようなものだが、巽にとってはあくまでもただの“お礼”で日南子に付き合ってくれるだけだ。

「ははは。まさに、今更ね! いいじゃん、気合い入ってるって思われても。むしろ、それくらいのほうが向こうも何か意識してくれるかもよー?」
「……そうですかね」
「大丈夫、大丈夫! 今日の青野、すごい可愛い! 攻めてる感じする」

 そう言われて鏡に映った自身を見つめる。紺地に咲く朝顔の柄。黄色の帯にチャームのついた金色の帯締め、髪も低めの位置で緩く纏め、小さな花モチーフのクリップを合わせている。

「変じゃないです?」
「すっごーく似合ってるよ」

 雪美が満面の笑みで言って、ポンと日南子の両肩を叩いた。

「へへ……」

 浴衣自体は雪美に着つけて貰ってはいるが、浴衣選びから、小物合わせ。髪型に至るまでは自分でそれなりに頑張った。それもこれも、少しでも巽の目によく映りたいという女心。
 今までだってそれなりにこんな感情を持った経験はあるが、こんなにも誰かの為に時間を掛けてあれこれ考えたのはたぶん初めての事だ。

 少しでいいから、良く見られたい──。そんな気持ちがどんどん膨らんで大きくなる。


 日の入りも随分と早くなった十月上旬。昼間の日差しには未だ夏の名残りがあるが、夕暮れ間近にもなると気温も下がり吹く風もどことなく冷たくなる。午後五時を過ぎる頃にはすっかり日も沈み、辺りは次第に夜の闇に飲み込まれていく。
 外に出ると、お囃子《はやし》の笛や太鼓の音。普段は日が沈めば人通りも減って寂しいばかりだが、祭りの夜ともなれば、法被を着て屋台を引く街の人たちの姿で賑わっている。
 日南子のマンションから大通りまでは、ほんの数十メートル。田舎町とはいえ、比較的規模の大きなお祭りで、町内の大通りは車両が封鎖され、通り沿いには出店屋台が立ち並んでいる。

 大通り沿いのバス停の目の前にある見慣れた定食屋の格子戸は開け放たれていて、店の前には店内の椅子が数脚並べられ、そこがちょっとした休憩スペースとなっていた。

「こんばんは」

 慣れない下駄を鳴らし店内を覗くと、ふく子が顔を上げて「あらあらあら~」と嬉しそうにこちらにやってきた。

「青ちゃん! 浴衣素敵じゃなーい」
「……ふふ。嬉しいです」
「あ。巽呼ぶわねー。巽ー! 青ちゃん来てくれたわよー?」

 ふく子が店の裏の方へと声を掛けると同時に、珍しいエプロン姿の巽が厨房のほうからビールケースを持ってやってきた。毎年祭のときは、ここでドリンクのみの提供をしていると以前巽から聞いたことがある。

「悪い。これ補充したら出れっから。今日暑ちぃから、けっこう売上良くってな」
「忙しいんですか? ……お店、大丈夫ですか?」

 こんなお店の賑わう日に巽を誘って迷惑だったかもと申し訳ない気持ちになるも、それを察した彼が「ははっ」と笑いながら言った。

「大丈夫だよ。ドリンクだけだし、親父たち久々に俺抜きで店立てんの楽しんでっから」

 巽が大きな樽の氷水の中にビール瓶をザクザクと浸け補充を終えると、小さく息を吐いてエプロンを外した。普段上げられている前髪が下りているのと、ラフな私服姿が新鮮だ。

「お待たせ。そろそろ行くか」
「あ、はい……」

 巽に促されて店を出るが、ちょうど店の前を大きな屋台が通過するところでいきなり人混みにもみくちゃになりそうになる。

「青ちゃん、こっち」

 巽にそっと腕を引かれ、人混みの中から助け出される。巽が日南子を見て目を細めた。

「気をつけな。せっかく浴衣で可愛くしてんだから」
「──っ、」

 巽が何気なく言った可愛いという言葉に過剰反応。少しは気にしてくれていたのかと思っただけで顔がにやけてしまう。その一言だけで、浴衣を着て来た甲斐があった。
 一瞬でも一秒でもいい。巽の目に好印象に映ったのだとしたらそれだけで十分な気がした。

  

 
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