love*colors
 
 ピリリリ……と突然鳴り出したスマホに日南子はビクンと身体を震わせた。
 恐る恐るバックの中からスマホを取り出すと、画面に表示されるのは“黒川 巽”の名前。

「……」

 ピリリリ、ピリリリ……、鳴り続ける電話に出ることは出来なかった。あんなことをしでかした後だ。気まずいやらいたたまれないやらで、そんな勇気は出ない。
 やがて、電話が鳴りやんだ。ほっと息を吐くと、今度はピロン、とLINEのメッセージ音。日南子は手にしたスマホを操作してそのメッセージを開く。

【さっきは、ごめん。送ってやれなくてごめん。マンション着いたら、無事に帰った事だけでも連絡してくれ】

「巽さん……」

 日南子はスマホを胸に握りしめた。
 こんな時なのに、日南子を心配してくれる用件のみのメッセージさえも嬉しいと思う。

「ダメだなぁ。……嫌いになんてなれないよ」

 気まずさよりも彼に心配を掛けたままななが心苦しい日南子は、着信履歴を利用してダイヤルをする。トゥルルル…と次のコールを待つ間もなく

『もしもしっ! 青ちゃん?!』
 
 たった一回のコールで巽が電話に出た。声が驚くほど焦っている。

『──よかっ、連絡くれないかと……無事に着いた?』

 心底ほっとしたように巽が電話の向こうで息を吐いた。

「──はい。もう部屋です」
『──さっきは、その、』
「待って。……待ってください」

 巽が何か言おうとしたが、日南子がそれを遮った。

「さっきは、……ごめんなさい。急にあんなこと言われたら誰だって──」

 電話の向こうで巽が日南子の言葉に真剣に耳を傾けている気配が伝わって来る。

「返事は、すぐじゃなくていいです。ただ知ってて欲しくて……。少しだけでいい、考えてくれませんか?
私、巽さんと過ごす時間が大好きなんです。できたら壊したくないんです。すごく大事なんです」

 ただ、伝えたかった。彼を大切に思っていること。それだけを伝えたかった。
 以前、似たようなことがあった。あの時とは立場が全く逆ではあるが、あの時の山吹も今の日南子と似たような気持ちだったのだろうか。

「だから、ダメって言わないで……」

 すがるような気持ちで巽に言った。ひょっとしたら彼を困らせているのかもしれない。でも、まだ諦めたくない。
 私はまだ、伝えたい気持ちの半分も伝えられていない。

『──分かったよ』
 
 巽が返事をした。ただそれだけで嬉しかった。

「今日は、すごく楽しかったです。付き合って貰ってありがとうございました」

 そう最後に言って日南子は静かに電話を切った。耳に残る低い声。
 鏡を見つめながら髪飾りを外し、ゆっくりと浴衣の帯を解いた。もし、想いが叶わなくても──、今夜楽しかった時間はきっと一生忘れたりできない思い出になるだろう。
 


  *  *  *


「ちょっと青野。何、その顔」
「……あ、雪美さん」
「あ、じゃないわよ! 朝っぱらからどーしたのって聞いてんの」

 翌日は早番での出勤。休憩室でもある更衣室でぼんやりと着替えをしていると、隣で同じように着替えをしていた雪美が怪訝そうに訊ねた。
 昨夜の事をあれこれ考え眠れぬ夜を過ごし、自分でも寝不足で酷い顔をしている自覚はある。こんなとき、時間が戻せたらいいのに……などと思うが、現実はそんな事叶うはずもない。

「昨日、どうだったの? 巽さん、浴衣褒めてくれた?」
「ああ、はぁ……まぁ」
「ちょっとー! 何があったのよ?」
「浴衣は褒めてもらえたし、お祭り自体はすごく楽しかったんですけど……」

 覇気のない日南子の答えに雪美がもどかしそうに先を急く。

「けどっ?! 何よ?」
「……やっちゃいました」

 ふうう、と息を吐きながら日南子が雪美に身体を預けると「え、え、なに? どした?」うろたえながらも彼女がそれを受け止めた。
 早番とはいえ、事務所の社員たちとは出勤時間が三十分ほどずれているため、休憩室には日南子と雪美の二人だけ。
 細かいことは割愛しつつ、昨夜の出来事の要点のみを雪美に話して聞かせた。

「なんで、へこんでんのよ?」
「だって。勢いで結婚したい、とか……」

 いま思い出しても恥ずかしい。

「べつに振られたわけじゃないんでしょー? ありえない、とか言われたわけでもなしに」
「そうなんですけどぉ!」

 こんなはずじゃなかった、という思いがどうにも拭いきれない。

「告白なんてねー、そうカッコよく決まるもんじゃないの。好きな人前にしたらテンパるの当たり前だし」
「好きって言う前に、結婚したい──ですよ?! なんかもう順番ぐちゃぐちゃだし、自分でも意味分かんない。これからどんな顔して巽さんと会えば……」

 過ぎた事だ。告白自体を取り消せない事もやり直せない事も分かっている。問題は、これから彼に対してどういう態度でいればいいかということ。
 とても今までのように気軽に店に顔を出せる気がしない。

「緑ちゃんには?」

 雪美がロッカーの扉裏の鏡を覗き込みながら訊ねた。

「昨夜、速攻電話しました」

 雪美と緑は面識がある。日南子の会話にそれぞれの名前が頻繁に登場することから、その存在を知っていたこともあるが、緑と休みの日に行きつけのショッピングモールのレストランででランチをしているとき、偶然顔を合わせた。たまたま一人で買い物に来ていた雪美もその場に誘い、一緒にランチをした仲だ。

「で、何て?」
「ある意味良かったね、って」
「あっは! 緑ちゃんらしいわー。言われたことも想像つくわよ」

 そう、緑と雪美は性格が似ている。どちらもサバサバとした性格で姉御肌。あれこれ考え込んだり、ふわふわした性格の日南子にビシッと的確な意見をくれるという点が共通している。

「告白できただけラッキーじゃない。青野のことだもん、そういう機会でもなけりゃ、行動起こせなかったんじゃない? この際、思いっきり意識してもらえばいいのよ。これ利用してグイグイ行っちゃいな」
「……グイグイって」
「受け身なだけじゃダメなのよー? 黙ってて男が寄って来るわけじゃないんだから」
「そうですけど、」
「ここで引いちゃダメよ? あんた頑張るって言ったじゃん」

 そうだ。日南子にしては珍しく自分から行動を起こしている。それもこれも、巽が好きだから。自分がそうしたい、振り向いて欲しいと思えばこそ。

「お店にも今までどおり顔出すの! ここで避けたら終わっちゃうんだから」
「……でも、気まずいんですよぉ」
「そんなの分かってるっての! アタシも一緒に行くから! 普通にご飯食べに来たって言えば不自然でもなんでもないでしょう? 余計な口出ししたりはしないから。その辺の空気は読むほうよ?」

 雪美がドン、と胸を叩きながらニッと笑う。
 確かに一人で店に顔を出すよりはハードルが下がる気がする。

「ああっと! 青野、時間時間!!」
「ひゃああ」

 バタバタと身支度を整え、2階の休憩室から下へ下り、事務所を抜けて店舗へ入る。日南子は頬をぺチと叩いて気持ちを切り替えた。プライベートで何があろうとも、仕事に支障をきたすわけにはいけない。

「よし、今日も働くぞ!」

 大きく息を吐いて気合いを入れた。

   * 

 ブロロロロ……走り去っていくバスの排気音を聞きながら、日南子はバス停の目の前の“くろかわ”に灯る明りを見つめた。普段なら何の躊躇いもなく店に足が向くのに、今夜も日南子は店を背にして歩き出す。
 このまま店に行きづらくなってしまうのは嫌だし、そうなることを避けたいと思っているのに、やはり足が遠のくのは勇気が出ないから。
 
「……ほんと、こんなはずじゃなかったのにな」

 肩を落としとぼとぼと歩くマンションまでの道。店に寄った夜はいつだって巽が家まで送ってくれて、店からマンションまでの道のりは日南子にとって特別な時間だった。
 たわいもない話しをしたり、夜空を見上げたり、ドキドキしたり、そわそわしたり──、短い時間ではあるがたくさんの思い出が詰まった道のり。
 この道をこんな気持ちで歩くことになるなんて──。

 “くろかわ”に寄らなくなって二週間。
 たかが二週間ぽっちですでに巽の笑顔が、声が、ご飯が恋しい。


 マンションに着く寸前で、バックの中のスマホが鳴った。
 ごそごそとスマホを取り出し、メッセージを確認。

【本日のお薦め 刺身定食】

 まさにその刺身定食の写真付きでメッセージはこれだけ。巽が送って来たものだ。

「……もう。狡い、巽さん」

 仕事中にわざわざこんなものを送って来るなんて、今までの巽にはなかった事だ。巽なりに店に顔を出さなくなった日南子を気にしているのだろう。

「行きたくてもいけない乙女心わかってない……」

 そう呟きながらも、たったこれだけのメッセージを嬉しいと思ってしまう辺り、もう脹らみ過ぎて手に負えなくなっている気持ちの大きさを認めざるえない。


 それから毎日のように、巽からの写真付きメッセージが送られてくるようになった。
 もちろん、あの祭の夜の事には一切触れず、ただその日のお薦めメニューと写真が添付されているだけの。
 触れないのは、巽の優しさか狡さか。その真意は分からないけれど、日南子を遠ざけたいわけじゃないのは伝わって来る。






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