love*colors
【7】青野日南子の場合④

  *  *  *

「もうすぐクリスマスかー!」

 久しぶりに緑と休みが合った休日。大型ショッピングモールでショッピングを楽しみながらの休憩時間。ふらりと入ったコーヒーショップで緑がフロアを通り過ぎる人々を眺めながら呟いた。フロアはクリスマスのディスプレイがなされ、買い物客の持っている袋の類もクリスマス仕様。嫌でもそんな時期だということを実感させられる。

「緑は? 今年も佑ちゃんと?」
「ううん。私、今年仕事だしさー、向こうも仕事忙しい時期だし。適当にプレゼント渡すくらいかなぁー」

 学生時代は、クリスマスに一緒に過ごせないなんて! とたまたまバイトになってしまった佑ちゃんに憤慨していたほどなのに、付き合いも長くなるとそういうイベント事さえ日常に溶け込んでしまうのか。

「プレゼント、何渡すの?」
「今年はどうしようかなーと思って。もう毎年の事だからネタ切れなんだよね」
「緑はいつも何貰うの?」
「毎年ネックレスとか、ピアスとか……身につけるもの必ずくれるかなぁ」

 そういった緑の耳で揺れているのは、去年彼からもらったという誕生石のピアス。

「ふふ。今年は婚約指輪だったりしてね!」
「佑也が、そんな気のきいたもんくれる気がしない」

 文句をいいつつ、嬉しそうな緑を見るのは好きだ。高校のときからだから、途中別れたりしたのもひっくるめて二人の付き合いは七年。積み重ねて来た時間と信頼関係は、日南子から見ても羨ましいくらいだ。

「日南子は? 例のオッサンとはどうなってんの」

 そう訊かれてコホとむせた日南子の飲みかけのカフェオレが気道に入りそうになった。

「だから、オッサンって言わないで」
「ごめんごめん」
「……」

 黙りこむ日南子に、緑が不思議そうに小首を傾げた。
 どう、と訊かれて、アレをどう答えるのが正解なのだろう。


「まだ分かんないけど……少し前進した気は、する」
「お? なになに? 巽さんと何かあったの?」
「──特に何か言われたわけじゃないんだけど、」

 好きだとか、付き合ってほしいとか、そういうこの先の関係を示唆するような言葉を彼が口にしたわけじゃない。けれど、日南子が彼に告白をして、そのあと言われた言葉とは明らかに違う最近の巽の態度。
 あの日、彼が日南子にしたキスは、たぶん事故とか、間が差したとか、そういう類のものではない……と思いたい。

「“狡くても、いいか”って──」
「はぁ?!」

 緑の眉間に深い皺が寄る。

「あの、変な意味じゃなくって!! ……なんていうか、俺でいいのかみたいなニュアンスの事を言われて彼がキ……」

 巽にキスされた事を思い出すと恥ずかしさが込み上げる。誤魔化すようにごにょごにょと言葉を濁すと、緑が「は? なんて?」と訊き返してきた。
 人で溢れかえるカフェ。隣の席も近い。大きな声で言うのがはばかられて、緑に顔を寄せて耳打ちのようにそれを告げると、「はぁあ?!」と思いきり目を丸くした緑の声が店内に響き渡った。

「緑ぃー。声大きいってば……」
「ああ。ごめん」

 わざわざ声を落として言ったのが台無しだ。

「それって──、」
「うん。まだよく分かんないんだけど……巽さんの態度が少し変わってきたっていうか」

 以前のように、日南子を遠ざけるようなことはしなくなった。
 それどころか、少しずつ日南子の気持ちを受け入れてくれているような。

 ただ、仮に日南子に対する好意があったのだとして、巽もまだ揺れているのかもしれない。

「まえに、彼が恋人を亡くしたこと話したでしょう? 巽さん、まだ怖いのかも。また大事な人ができて、もしまた失ってしまったらって思うと怖いんだって──」
「日南子はそれどう思ってんの?」
「うん。ダメだって言われなくなったのは嬉しい。……だから私が頑張るしかないのかな、って。巽さんが“大丈夫”って思えるように」

 日南子が答えると、緑が飲みかけのコーヒーカップをソーサーに置いた。

「なんかじれったいわねぇ……。巽さんももっとはっきりさー、」

 緑が呆れたように日南子を見る。それでもその目はどこか温かい。

「そんなことないもん」
「日南子はそれで辛くないの?」
「辛くないよ。──だって、傍にいられたらいいんだもん。他の人じゃダメなんだもん」

 誰に何と言われようと、“彼でなければ”っていうのだけは譲れない。
 人との出会いは無数にあるけれど、好きになる、惹かれるにはタイミングがある。

 もし、あと五年十年早く巽に出逢っていたとしたら私は彼を好きにならなかったかもしれない。
 もし、彼と亜紀さんが出逢ってなければ。もし、彼が亜紀さんを事故で失ってなければ。私たちは出逢ってさえいなかったかもしれない。

 人との出逢いや巡り合わせとはそういう歯車の噛み合うタイミングのようなものなのだと思う。

「日南子がそんな事言うようになるとはねー。あんたが誰かに執着すんの初めてみたよ」
「え?」
「あんた昔から友達からも好かれるタイプだったじゃん? あっちこっちのグループに溶け込んでるくせにどこにも属さなくって、無難に付き合ってく。なのに、誰にも、何にも執着しない」
「それ、緑がいたからだよ。緑だけ傍にいてくれたらそれで十分って思ってたし……」
「近寄るもの拒まず、去る者追わず、みたいな」
「それは──嫌いなひとでなきゃ、それなりに楽しく付き合いたいって思うし。そうでなくなったなら、仕方ないかって」

 そう答えながらぬるくなったカフェオレを飲む。

「その日南子が、珍しくしぶとく喰らいついてんだもんねー」
「もー、その言い方!」

 珍しく、とか、しぶとく、とか。まるで嫌がられているのにしつこくつきまとってるみたいに。

「褒めてんの」
「嘘! 全然褒められてる気しないー!」
「本気になっちゃったんだ?」

 緑の言葉に素直に頷いた。

 現実身のない恋とは違う。現実の恋はすごく生々しい感情を伴う。
 好きだという気持ちは、一度自覚したら、抑えようとしても抑えることはできなくて。
 もっと近づきたい。もっと知りたい。もっと傍にいたい。もっと触れたい。もっと触れられたい。ああしたい、こうしたいことばかりが増えていく。

 ちょっとしたことで浮足立って、ちょっとしたことでバカみたいに沈み込んで。
 感情の振れ幅が忙しくて仕方ない。
 けれど、血が巡る。生きてるって、恋するってこういうことだって実感できる。

   *

「緑の結婚式とか、楽しみだな」
「──あはは。まだ本人にプロポーズもされてないけどね?」
「でも、佑ちゃんのご両親には来年あたりには……って事になってるんでしょ?」
「うん。付き合い長いからね。お互い適齢期だし、急かされちゃって。うちの両親も口に出しては言わないけど、佑ちゃんと結婚すんだろうなーくらいには思ってると思う」

 いままであまりピンとこなかったものが、自分が恋をしたら分かるようになった。
 緑と佑ちゃんの築く家庭。きっと素敵な家庭になるだろう。

「プロポーズされたら、ちゃんと教えてね。盛大にお祝いしよ」
「されたらねー」

 そのとき緑はどんな反応をするんだろうか。クールに「いいよ」とか言うのかな。
 案外目に涙浮かべて感激したりして。

「日南子はどうだったの? 巽さんとの人生初キスは?」
「は?」
「初、だったでしょ?」

 緑がニヤと笑いながら訊ねる。

「そこ、掘り返さなくていいからー!!」
「だって。気になるもーん」
「教えないよ」
「えー。教えて」
「緑、しつこい」
「うわ。真っ赤になって! 日南子かわいー!」
「もーう!!」

 人がいれば、人の数だけそれぞれに合った愛の形がある。
 今はまだ、手探りだけれど。
 彼が、少しでも私と向き合ってくれる気があるのなら、自分たちの形を模索していけばいい。

 好きだって気持ちは、与えられるものじゃなく。自分の身体の内側から湧きあがって来るもの。
 だから、いま胸いっぱいに溢れてるこの気持ちを、パワーに変えよう。
 少しでも、彼の心の傷が癒えるように。少しでも、前に進めるように。

 

 *  *  *


 日を追うごとにクリスマス色が強くなる街並みを眺めながら、今日も仕事を終えて家路につく。
 定時に仕事を終え、駅のバスターミナルでバスを待つ。日南子がちょうど乗り場に着いた時、タッチの差でバスが出発してしまった。
 通勤時間帯は一時間に四本ほどのバスが出ているが、午後八時過ぎともなればその本数も減る。あと三十分はここで時間をつぶすことになる。
 気候のいい季節ならさほど苦にもならないが、季節は冬。この寒空の元、何もせず三十分過ごすのはさすがに辛い。

「寒いし……なんか、飲もうかな」

 ターミナルの待合所に入り、温かな抽出式のカップコーヒーを買って空いている席に座った。
 人気《ひとけ》はほぼなく、数人のスーツを着たサラリーマンらしき男性が椅子に座り手持無沙汰なのか、熱心にスマホを操作している。

 ふいにバックの中のスマホが音を立て、日南子は慌ててそのスマホを手に取った。画面に表示された名前に一瞬ドキンとするも、静かな待合所に響き渡る着信音を気にして慌ててその電話に出た。

「──あ、もしもし」
『青ちゃん? 俺、巽だけど』

 わざわざ彼が名乗らなくてもその声だけで分かる。

「どうしたんですか?」

 珍しい。彼が電話をくれるなんて。そんな些細な事さえ嬉しいと思う。日南子は慌ててコーヒーを手に立ち上がって、待合所を出た。

『──あのさ、来週の月曜って青ちゃん仕事?』
「来週、ってことは二十日ですよね。多分、出勤だったと……」
『帰り、何時?』

 たしか、その週は早番はなかったはず。

「お店終わるの七時半なんで……」
『あー、じゃあこっち着くの八時半過ぎだな』

 普段日南子が“くろかわ”に顔を出す時間帯を把握している巽が先回りして答えた。

『もし、予定なけりゃ、ウチ来ねぇ?』
「え?」
『一緒に、飯食わねーかと思って』
「……は、はいっ! 大丈夫です!」
『用件はそんだけ。んじゃ、そーゆーことで』

 日南子が言葉続ける間もなく、驚くほどあっけなく巽からの電話が切れた。




 
< 44 / 59 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop