love*colors

「あ。失敗」

 いつの間にかシャッターを切っていた日南子が、撮れた写真を見て渋い顔をしている。

「俺が代わる」

 日南子からスマホを受け取り、今度は巽がカメラを手に腕を伸ばした。
 改めてフレーム内におさまる自分たちの姿を眺めていると、照れくささが湧きあがる。日南子といる自分はこんな顔をしているのかと、まるでどこか知らない他人をみているような不思議な気持ちになった。

 自分でも知らなかった顔。それもまた新鮮ではあるが、あまりまじまじと見たいものではない。
 
 何度かシャッターを切り、スマホを日南子に返すと、日南子がその写真をチェックして嬉しそうに頬を染める。

「ふふ。欲しかったの、一緒に写ってる写真。せっかくだし待ち受けにしようかなー?」
「──は?」
「ん?」
「いいのかよ、それ」
「どうして?」
「……俺みたいなオッサンと写ってんの恥ずかしくねぇ?」
「えー? なんでっ? 巽さん、カッコイイのに」
「──はぁっ?!」

 なぜ日南子は自分でなければなどと言うのだろう。自分にとって日南子でなければ、という理由ならいくらでも見つかる気がするのだが、日南子にとって自分でなければならない理由など見当たらない気がしてしまう。
 惚れた欲目を差し引いて考えても、彼女なら他にいくらでもふさわしい相手がいるのでは、と……本当に自分でいいのだろうか、などとどこか不安な気持ちが拭いきれないのも事実。
 覚悟を決めたはずなのに、離したくないと思っているのに、そんなことを考える自分はやはり弱いのだろうか。

「カッコいいですよ、巽さん。──私は嬉しい。巽さんの事、もっともっと自慢したいくらい」

 彼女のストレートな言葉が、やみくもに可愛く感じる。
 日南子は真っ直ぐで強い。いつか赤松も言っていた。この辺りがすでに日南子に適わない点なのだろうなと自覚し、巽は思わず脱力した。

   *

 観光を終えてホテルにチェックインすると、すぐさま部屋に荷物を運び入れた。
 外観も真新しい印象ではあったが、部屋の中もとても清潔な印象で、部屋に入るなり日南子が目を輝かせた。つい何年か前に客室の改装がなされ、空気清浄機も完備されている。
 客室の窓からは海が一望でき、晴れた日には富士山を望むことができるらしい。
 自分一人なら宿泊先もたいして拘《こだわ》ることはないが、日南子の為に女性の喜びそうな清潔で景色のよいホテルを選んだ。

「部屋も可愛い」

 比較的広いツインルーム。部屋全体が淡いパステル調の色合いで纏められていて、どこか外国のコテージを思わせる。
 日南子が早速窓際に駆け寄って、外の景色を眺めた。
 真冬に比べると日が長くなってきたとはいえ、夕方五時を過ぎ、あと数分もすれば完全に日が落ちる。

「すごい! 目の前に海が見えるー!」
「気に入った?」
「もちろん!」
「いまもう薄暗いけど、明日も晴れなら朝起きたらすげー景色が見れると思うぜ?」

 そう言うと日南子が嬉しそうに頷いた。

「飯、六時半だから。しかも鉄板和食会席だぜ?」
「わぁ!」

 食事の話にさらに目を輝かせるあたりがなんとも彼女らしく微笑ましい。

「食事の時間まで少しゆっくりするか」
「うん。けっこう歩いたから足パンパン」

 日南子が窓から離れ、ベッドの上にストンと腰を降ろすと靴を脱いだ。そのまま足の指をグーパーさせて軽い足先の運動をしてからそのままポスっとべッドの上に寝転がった。

「ふふ。すごいフカフカ~!」

 そんな日南子の姿を見て、自分も同じように隣のベッドに仰向けに寝転がった。

「ああ。マジ最高だな、コレ」
「このまま目閉じたら寝ちゃいそう」
「寝たら飯俺二人分食っとくわ」
「え。なにそれ。狡い」

 そう言いながら日南子が笑う。
 やはり心地よい。彼女とのこうした何気ない時間が。


 ホテル内のレストランの食事を楽しんで、再び部屋に戻ってきたのは午後八時過ぎ。
 日南子の顔がほんのりと赤いのは、店で飲むときより少し多めの飲酒量だったから。日南子が飲むのはあくまでも嗜む程度だが、旅行で開放的な気持ちになっているのか、今夜は普段よりもさらにご機嫌な様子で食事をしていた。

「美味しかったですね」
「ああ。めちゃくちゃ旨かった」

 部屋に入り、少し足元のふらつく日南子を支えていた手を離すと、彼女がそのままベットに倒れ込んだ。

「また食べ過ぎちゃった。お腹がヤバイです」
「はは。水か何か飲むか?」
「はい」

 そう返事をした日南子に巽は冷蔵庫から取り出したペットボトルの水をそのキャップを捻ってから差し出した。ゆっくりと起きあがった日南子が「ありがとう」とペットボトルを受け取って小さく喉を鳴らす。

「──気分悪い、とかじゃねぇよな?」

 一応心配で訊ねてみると、日南子が笑顔で首を振った。

「大丈夫。ちょっと苦しいだけ」
「ならいい。……腹落ちつくまで少し休んでな」

 そう言って軽く日南子の頭を撫でてからテレビをつけた。音があったほうが気が紛れることもある。
 巽はベッドに横たわったままの日南子を部屋に残し、窓を開けてバルコニーに出た。バルコニーに出た瞬間、冷たい風が吹き、思わず身体を竦める。
 昼間はこの時期にしては温かかったが、夜は海岸線沿いで海風が強い事もあり、さすがに冷える。

「──ここ禁煙だったな」

 普段からそこまで多く喫煙の習慣があるわけではないが、吸えないと分かっている場所に来るとなぜか口寂しくなる。
 バルコニーの手すり部分に肘をついたまま、ただ真っ黒に映る海を眺めた。今夜は月が出ていて、薄暗い中でも空と海岸線の境目ははっきりと見てとれた。
 ふと空を見上げると、いくつもの星。明日も天気は心配なさそうだ。

 しばらくそうして海を眺めてから部屋に戻ると、日南子がベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。

「……疲れてたんだな」

 思えば朝からはしゃぎっぱなしだった。行きの車の中でも昔から遠足や旅行の前には、楽しみ過ぎてなかなか寝付けないタイプなのだと笑いながら話していた。
 そっと日南子の寝ている傍らに腰をおろし、顔に掛かった彼女の髪を指で掬った。25という年齢の割には童顔で、こうして眠っている顔などはまだあどけなささえ残る。

「……っみさ……」

 日南子の唇が小さく動く。小さいけれど、その唇から漏れた言葉に、年甲斐もなく顔が緩む。
 そんな無防備な顔して図らずも俺の名前を呼ぶとか、反則だろう。

「まいるわ、マジ……」

 巽はそっと身体をかがめて、日南子に顔を近づけた。
 一瞬躊躇いはしたものの、気持ちが溢れるのをこらえきれずに、巽はそっと日南子の額に唇を寄せた。


 小一時間ほど経った頃、眠っていた日南子がハッと目を覚まして辺りを見渡した。起きぬけのぼんやりした頭で必死に状況を確認しているのだろう。現実に気づき、ガバッと起きあがると毛布を跳ねあげてこちらを見た。

「起きた?」
「やだ……私寝ちゃって……」
「ああ。気持ち良さそうに寝てた」

 巽がそう言うと、日南子が申し訳なさそうにこちらを見上げた。

「起こしてくれたらよかったのに……」
「や。寝顔見れてラッキーだったしな」
「えー、」

 日南子がさっき跳ねのけた毛布で恥ずかしそうに顔を覆ったのを横目で眺めながら限界まで絞ったテレビのボリュームを再び上げ、寝落ちる前の日南子の飲みかけの水に口をつける。

「落ちついたら風呂入って温まって来な。俺、先にもらったし」
「あ……うん」
「ゆっくり入ってきな」
「……ありがとう」

 返事をした日南子がゆっくりと立ち上がり、ベッドから離れると荷物の入ったバッグを開けてしばらくゴソゴソしたあと、フラフラとバスルームに消えて行った。
 やがてバスルームからシャワーの音が聞こえてくると、中の日南子の姿を嫌でも想像して俄然落ちつかない気持ちになる。そんな雑念を払拭するかのように、テレビのチャンネルを意味もなく変えたり、冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出してそれを開けてみたりする。

「……何やってんだ、いい歳して」

 自分の落ち着きのなさに苦笑いをし、開けた缶ビールを勢いよく喉に流し込んだ。

 そわそわする。
 日南子を家に泊めたことはあるが、未だ一線を越えてはいない。彼女自身それをどう思っているのか、今夜のことをどうとらえているのか、彼女の気持ちを確かめられないまま今に至る。

 
 やがてバスルームのドアが開いて、部屋に備え付けられた浴衣に着替えた日南子が遠慮がちに顔を覗かせた。
 バスルームから持って出たものを手際よく片付けた日南子が再びバスルームに入ると、今度はゴーというドライヤーの音が聞こえてきたことに安堵して息を吐いた。

「……意識し過ぎだろう」

 なぜ相手が日南子だとこうなってしまうのだろうか。
 ある程度歳を重ねて来ただけあって、人並みの恋愛経験はある。今までも、ごく自然にそういう関係になっていったはずなのに、相手が日南子だと言うだけでその辺の経験値が真っさらになってしまうことが疑問で仕方がない。
 そわそわする気持ちを誤魔化すように、大きく息を吐いて不自然にならないよう必死に努めるのが精一杯だった。

 再びバスルームから出て来た日南子が、窓際に近づきカーテンの隙間から外を覗き込んだ。

「……真っ暗ですね」
「ああ。外は寒そうだな。風も出て来たし」

 日南子の言葉に、不自然にならないように言葉を繋ぐ。彼女の纏うほのかなシャンプーの香りが、部屋中にふわと広がるのに堪らない気持ちになり、窓の外を眺める日南子の背後に立ち、そっと彼女を抱きしめた。
 触れた瞬間、ほんの一瞬ではあるが日南子の身体に力が入った。腕を振り払われないことに安心して、そのままでいると、日南子の手がそっと巽の腕に触れた。

「明日、晴れるかな」
「ああ。さっき星出てたし大丈夫だろう」
「楽しみ」
「ん」

 小さく返事をして自分の腕の中にすっぽりとおさまっている日南子の髪に顔をうずめた。
 匂い立つシャンプーの香り。日南子自身の香り。もっと深く触れてみたいという気持ちが高まって行く。──が、このまま欲望に流されないようさらに言葉を繋ぐ。

「明日はどこ行くんだっけ?」
「──いろいろ行きますよ? あ、何時に起きます?」
「朝食九時までだから、間に合うようにレストラン入んなきゃな」
「じゃあ……。七時か七時半くらい? 遅くても八時には起きなきゃですね」

 話を続けながら日南子自身の緊張も伝わって来る。だいぶ外れたはずの敬語が戻ってしまっていることに、彼女の緊張が表れているようでますます愛しくなる。





 
 
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