love*colors
少しうとうととして再び目を覚ますと、ちょうどバスルームのほうから物音がして日南子がひょっこり顔を覗かせた。
「あ、起きました? いまちょうど起こそうと思ってたの」
すでに着替えを済ませた日南子が巽の寝ているベッドの縁に腰掛けると、その身体から石鹸の香りがした。たぶん先に起きてシャワーを浴びていたのだろう。
「おはようございます」
「──ああ、おはよ。いま、何時?」
「七時少し過ぎたとこです」
そう答えた日南子へ腕を伸ばし、その腰を抱えるようにして、彼女を見上げる。
「……巽さん?」
昨夜の彼女とは全く別人のような、見慣れた日南子の姿。そのきちんとした元通り感にほっとするような寂しいような、不思議な気持ちが湧きあがる。このままもう一度服を剥ぎ取ってベッドに引きずり込んでしまいたい気持ちを抑え、日南子を見つめた。
「──身体、平気?」
巽が訊ねると、日南子が少しぎこちない笑顔を見せながらも頷いた。
「ごめん。結局、無理させたな」
「……」
日南子が急に顔を赤らめたのは、昨夜の事を思い出したからだろう。
「身体痛くないか?」
「……うん。痛くはないんだけど、」
日南子がその次の言葉を恥ずかしそうに言い淀んだ。
「痛くないけど? ──なに」
「……恥ずかしいから言わない」
そう答えて立ち上がった日南子の腕を掴まえて、少し強引にベッドに引きずり込むと「ひゃ」と小さく悲鳴を上げた彼女の顔が目の前にあった。
「もう。離して。朝ごはん食べに行くんでしょう?」
「行くけど」
「じゃあ。もう起きなきゃ」
「起きるけど。もうちょい恋人らしく起こしてくんね?」
自分で言っててこっ恥ずかしいとは思うが、初めてまともに恋人らしい夜を過ごした翌朝くらいは、その余韻に浸りたいとも思うのは我儘か。
「え。どうやって?」
「そりゃ。自分で考えな」
「えー…?」
日南子が考え込むような素振りを見せ、ハッと何か思いついたようにこちらを見たかと思うと、ギュっと目を閉じてチュッと巽の額にキスを落とした。
それから自分の行動を思い返し恥ずかしくなったのか慌てて両手で顔を覆う。
「──ふっ、は」
何だこれ。たまんねぇ。
自分で催促しておいて、その照れくささに日南子と同じように手の甲で顔を隠す。
「ちょっ、なんで笑うの! 間違ってた?!」
「や。日南子にしちゃ、及第点だと思うわ」
「巽さんってばー! なんかそっちばっかり余裕で狡い」
「ばぁか! これのどこが余裕だよ?!」
たかが額に触れただけのキスで、にやけ顔が止まらないとか。
こんな気持ちはたぶん、いままでに味わったことがないもの。
「もう! 早く起きて。お腹すいちゃった」
日南子が照れながら、俺の身体を軽く肘で小突いた。
「俺も腹減った」
「巽さん、寝ぐせすごいことになってる」
「マジか」
「ふふ」
笑った日南子が、立ち上がって部屋のカーテンを勢いよく開けた。
窓から漏れる朝の光。その眩しさに目を細めると、フワと窓から吹き込んだ風が日南子の髪を揺らした。
「んー、いい天気!」
「ああ」
「ちょっと寒いけど。空気が気持ちいい」
そう言って笑う日南子の姿が、巽の目に眩しく映る。
シャワーを浴びてバスルームから出ると、日南子が朝の情報番組を見ていた。
毎日どこかで必ず起こる事故のニュース。マイクロバスと乗用車の衝突事故のニュースを見ていた日南子が背後の俺に気づいてハッとした。
彼女が顔色を変えた理由は分かっている。俺が未だこの手の事故のニュースを苦手としていることを分かっているから。
慌ててテレビを消そうと、リモコンを手にした日南子の手を掴んで制した。
「──大丈夫、だから」
「でも……」
その言葉は決して強がりではない。
事実、日南子が傍にいてくれれば以前のようなフラッシュバックに近い混乱に襲われることもない。
「不思議なんだけど。日南子がいれば平気なんだよ」
最近、こうした映像を見ても身体が震えることがなくなった。
彼女が傍にいて、この手に触れていてくれさえすれば。
この細く頼りない腕があるだけで、その温もりを伝えてくれるだけで強くなれる。
人は変わる。
いつまでも同じところに立ち止まってはいられない。
少しずつ変わる。愛する人の為に、強く。その愛を守れるように、より強く。
「……ほっとすんの。日南子といると」
心安らぐ。幸せで、一生失いたくない場所。
「私も、ほっとする。巽さんの傍が」
いくつもの出逢いや別れを繰り返しここまで来たけれど、途中立ち止まったり回り道をしたのは、きっと彼女に合う為だったのだろうと今なら分かる。
「──じゃあ。このままずっと、傍にいてくれよ。な?」
愛する人が隣にいる。
愛する人の隣にいられる。
それが、シンプルかつ最高の幸せ。
「……うん」
そう答えた日南子の笑顔がさらに輝くのを、巽はこれ以上ないほど幸せな気持ちで見つめていた。