たった一つの勘違いなら。
「詩織のうちにも遊びに行っていいかな」

気を抜いた時に質問を仕掛けてくる人だとわかっているけれど、ここは防衛ラインなので無理です。

「このマンションの玄関ぐらいしかないので、とても無理です」

「狭くてもわざわざ会社の近くに?電車が嫌いって感じ?」

「通勤ラッシュはちょっと。エレベーターも混んでいる時間はあまり乗りたくないので、朝の時間に」

「人との接触が苦手なんだよな。前にほっぺた触っちゃったことあったね。嫌だった?」

「富樫課長なら全然大歓迎でした」

うっかり言ってから固まる。大歓迎ってちょっと言い過ぎた。案の定くすくすと笑われている。


「そうか、大歓迎されてたとは知らなかった」

囁くような呟きとともに、あの時と同じように頬に手の甲が触れる。家の中にいる今日は暖かい手。

大歓迎と言った手前どうしていいかわからず目をそらしていると、そのままゆっくり耳元の小さなピアスに触れて髪をかきあげられる。

指が後頭部に回ったとき、さすがにビクッと身体を引いた。

「ああごめん、キスはダメなんだっけ」

見られたくなくて下を向いた頭の上から、楽しそうな声がする。こうやって間合いを図られては、少しずつ近づいている気がするけれど。

「ミステリアスな美女は、意外と奥手だったね」

こういうやり取りに慣れ切っているであろうこの人は、気を悪くすることも反省することもない。
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