たった一つの勘違いなら。

「さっきの話、ほんと頼むな。ありがとう」

去り際に私の耳元で囁くように言って、肩を叩いて行く。

行くとか言ってないのに、もう決まった気でいる。そういう感じが恵理花に「ちょろすぎてその気になれない」って言われてたんだよ。



ちらっと真吾さんの様子を伺うけれど、別に普通。そうですよね、別に妬いたりとかしてくれないですよね。

「座って」

促されて先に席に着くと、私のコーヒーを人差し指でとんと叩き「高橋?」と聞いてくる。私がいつも紅茶を飲むのは知ってるからだろう。

「はい。買ってくれたんですけど」

「ま、その程度の仲か」

え?と思っている間に、そのまま缶を手にして飲んでしまう。私には自分が買ったほうを滑らせてきた。

書類を出して説明を始める間に、じわじわと恥ずかしくなってきて顔を上げずに話す。

ずるい。こんなちょっとした仕草で私をからかって。大した意味なんてないくせに、他の人にもらったものを取り上げるとか。

どうせ平然としてるんだろうし、人が通るこんなところで私が顔を赤らめていたらおかしいけど。真吾さんには絶対バレてるだろうなと悔しい。




「助かったよ。あいつもうちょっと使えるようにしないとな」

うん、高橋くんは正直、少しやる気が空回りして注意力散漫かもしれない。もともと詰めが甘い性格だし。

「これだけ?」

「はい、ありがとうございます」

立ち上がりかけたところに耳元で「隙を見せるなよ」と囁かれて、今度こそ赤くなった。一生懸命普通でいようとしてるのに、わざとそういうこと。

オープンスペースには他の人もいたけれど、富樫課長とのやり取りにはしゃいだファンが赤面してるようにしか見えないんだろう。

ただ私だけを振り回して、楽しんでいる。当たり前だけど全然敵わない。


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