たった一つの勘違いなら。
彼の部屋で、コーヒーと紅茶を1つずつ入れてローテーブルに置く。置いてから、届きにくいかなと思ってコーヒーカップを真吾さんのほうへ少し滑らせた。
今ちょっと会社でのことを思い出したのをきっと気づかれた気がする。なんとなく面白がってる感じ。
「詩織って意外と子供だよね」
ほら、からかうように楽しげに言ってくる。
「嗜好の問題です」
「飲み慣れてないだけじゃない?味見してみる?」
と言いながらも真吾さんが自分で一口飲んだ。
なんだ冗談か、と思ったところを引き寄せられ、唇が重なる。コーヒーの香りを口の中で分け合うように深くなるキス。
「好きじゃないんです」
顔を背けようとすると、なおさら面白がって追ってくる。
「慣れるよ」
「無理です」
「詩織」
嫌がってるふりをしても名前を呼ばれると私が弱いことも、もうとっくに知られている。
「真吾さん、は?」
笑いながらキスし続けるってなんなのか。
「詩織?」
「真吾さん」
「なに?」
「キスはしない約束」
「ああ、ごめん。忘れてたよ」
笑いながら満足げに離れていく。近頃は毎回がこんな感じだ。ダメだと言うとやめる。でもいつも忘れてしまうそうだ。
もしノーと言わなければどうなるのかは、わかっているような気がする。嫌がることはしない。そういう約束だから。
嫌がらなければおそらく私を抱くのにも躊躇はない。
キスの価値も身体を重ねる意味もきっと、彼にとってはコーヒーを分け合うくらいのことなんだろうから。
良くも悪くもふわりと軽い。ついうっかり気を抜いたところをドキッとさせる、そういう人。