詩集 風の見たもの
【書簡詩】
長らく里を離れてた風の精から来た便り。
旅の途中で見た物を語るいつもの名調子。
皆様、元気でお過ごしですか?
私は丁度この星の真裏に滞在しています。
今居る街は温暖で、物も豊かで気持ちよく
過ごせるだけの環境も整っている所です。
あ、そうそう、ここに来るちょっと前にいた街で、
面白い事がありました。
そこは砂漠の真ん中の乾いた気候の北の街。
寒暖の差も厳しくて住むには大変そうでした。
優しい夏の終わり頃。涼しい風が吹くある日、
二匹の猫がやってきて住み着く様になりました。
どの様にして来たのかは全く分かりかねますが、
砂漠を越えるはずもなく、大方どこかのキャラバンに
紛れて近くに来たのでしょう。二匹は親子の様でした。
親は弱っていましたが仔猫は元気一杯で
街の中をそこら中走り回っておりました。
住まいは何処で何を食べ、暮らしているのか謎ですが
街の中にも少しずつ馴染みが出来て時折は
立ち止まっては挨拶を交わす事すらありました。
仔猫はいつも元気よく動き回っていましたが
決して悪さはしないので誰も咎めませんでした。
一ヶ月ほど経った頃、いつものように街の中。
仔猫は元気な顔を見せ遊び回っていましたが
何かがいつもと違ってる、感じた私がよく見ると
いつも近くにいた親が、今日はどこにも見えせん。
仔猫はまだまだ幼くて独り立ちには早すぎる。
そうはいっても、現実に仔猫は独りきりでした。
その日を境に、親猫は姿を見せなくなりました。
しかし、仔猫の表情は、普段通りの明るさで
何の憂いも無さそうに無邪気に遊んでいたのです。
こうして更に時は過ぎ、短い秋は過ぎ去って
やってきたのが冬でした。冬は地域を飲み込んで、
街もすっかり閉ざされて、出入りが出来なくなりました。
それは外から見た話。街の外では北風が
猛威をふるっていましたが、街の中まで入らずに
避けて通って行きました。北の砂漠の冬の日は
冷たい夜明けで始まって、冷たい夜で終わります。
鋭い寒さが一日中続く事ならありますが
雪が降ったりはしません。それでも僅かな水分が
地中で固く凍りつき地表の砂まで極限の
冷気を纏わせ尽くすのです。
でもこの年は少しだけ違ったところがありました。
子猫の街だけ冬風も寒さもいくらか和らいで
水は凍りつく事なく、大地もその身をほころばせ、
この街だけが、秋のまま時が止まった様でした。
後日談にはなりますが、話のついでにちょっとだけ
地元の風に、「あの街に手心加えていたのか?」と
聞いたら「そんな事はない。普段通りにやっていた」
との返事があったので、神の加護でもあったのか
と、思う事にしています。
街に住んでる人々は、思いがけない暖冬に
皆(みな)それぞれに喜んで、その恩恵にあずかって
例年よりは安らいだ冬を過ごしておりました。
子猫はあいもかわらずに元気に遊んでいましたが
何処で寝泊まりしてるのか、何を飲み食いしてるのか
やはり不明のままでした。ある時街の子どもたち。
子猫の後をつけました。何度も挑戦しましたが、
毎回とある路地裏で、見失うのが常でした。
仔猫は遊んで貰ってるつもりでいるのか楽しそう。
同じ所で煙(けむ)に巻く追跡ごっこは一番の
お楽しみにもなった様。子どもの姿をみつけると
駆け寄って来るまでになり、大人も時には暖かな
ミルクやスープを差し入れて、一緒に過していたのです。
誰もが子猫を可愛がり、子猫も人によく懐き、
温もり豊かな関係が成立していたのでした。
これならこの子も寂しくはないかと思いそれっきり
暫く子猫の事なんてすっかり忘れていましたが
長く厳しい冬が去り、春の日和が戻った頃
街で騒ぎが起きました。街中の人が飛び出して
仔猫を捜していたのです。ついにこの日が来たのかと
私も捜して見ましたが、姿はおろか気配すら
感じられなくなったので、仔猫は街から出ていった
と、考えるしかありません。それだけの事なのですが
人々の悲しみ様は大変なもので、なかでも
とりわけ深い悲しみに沈んでいたのが子どもたち。
しかし彼らは泣きません。再会できる日を信じ
前だけを見て生きていく。それが街の子の生き方。
優しいだけじゃないのです。幼き日々の思い出は
彼らののちの人生にまばゆい光を投げかけて
どんな時でも変わらずに護ってくれる事でしょう。
あとで判った事ですが、風の便りによりますと、
砂漠の街の南門(みなみもん)手前の地下に、人知れず
二匹の猫の亡骸が埋まっているという事です。
彼らは街に着く前に力が尽きて、肉体は
斃れたものの、魂魄は生への思い捨てがたく、
街を目指したらしいのです。とりわけ仔猫の遊びへの
熱い思いを知る親は、このまま我が子の魂が
彷徨う事にならないか、余程心配したらしく
仔猫が十分楽しげに遊ぶ姿を認めると
程なく親は昇天し、残った子もまた思い切り
遊び倒して満足し、遠いところに旅立った、
というのが事の真相であるそうですが、どうでしょう?
ちなみに街が授かった加護はホントに神からの
ミニサプライズだったとか。
風の便りはもう一つ、梁塵秘抄の一節を
伝えてきました。それはもう、印象的な歌でした。
遠い東の果ての国。そこに伝わる古い歌。
遊びをせんとや生まれけむ。 戯れせんとや生まれけむ。
遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ
それでは今日はこの辺で。皆様どうぞお元気で。
長らく里を離れてた風の精から来た便り。
旅の途中で見た物を語るいつもの名調子。
皆様、元気でお過ごしですか?
私は丁度この星の真裏に滞在しています。
今居る街は温暖で、物も豊かで気持ちよく
過ごせるだけの環境も整っている所です。
あ、そうそう、ここに来るちょっと前にいた街で、
面白い事がありました。
そこは砂漠の真ん中の乾いた気候の北の街。
寒暖の差も厳しくて住むには大変そうでした。
優しい夏の終わり頃。涼しい風が吹くある日、
二匹の猫がやってきて住み着く様になりました。
どの様にして来たのかは全く分かりかねますが、
砂漠を越えるはずもなく、大方どこかのキャラバンに
紛れて近くに来たのでしょう。二匹は親子の様でした。
親は弱っていましたが仔猫は元気一杯で
街の中をそこら中走り回っておりました。
住まいは何処で何を食べ、暮らしているのか謎ですが
街の中にも少しずつ馴染みが出来て時折は
立ち止まっては挨拶を交わす事すらありました。
仔猫はいつも元気よく動き回っていましたが
決して悪さはしないので誰も咎めませんでした。
一ヶ月ほど経った頃、いつものように街の中。
仔猫は元気な顔を見せ遊び回っていましたが
何かがいつもと違ってる、感じた私がよく見ると
いつも近くにいた親が、今日はどこにも見えせん。
仔猫はまだまだ幼くて独り立ちには早すぎる。
そうはいっても、現実に仔猫は独りきりでした。
その日を境に、親猫は姿を見せなくなりました。
しかし、仔猫の表情は、普段通りの明るさで
何の憂いも無さそうに無邪気に遊んでいたのです。
こうして更に時は過ぎ、短い秋は過ぎ去って
やってきたのが冬でした。冬は地域を飲み込んで、
街もすっかり閉ざされて、出入りが出来なくなりました。
それは外から見た話。街の外では北風が
猛威をふるっていましたが、街の中まで入らずに
避けて通って行きました。北の砂漠の冬の日は
冷たい夜明けで始まって、冷たい夜で終わります。
鋭い寒さが一日中続く事ならありますが
雪が降ったりはしません。それでも僅かな水分が
地中で固く凍りつき地表の砂まで極限の
冷気を纏わせ尽くすのです。
でもこの年は少しだけ違ったところがありました。
子猫の街だけ冬風も寒さもいくらか和らいで
水は凍りつく事なく、大地もその身をほころばせ、
この街だけが、秋のまま時が止まった様でした。
後日談にはなりますが、話のついでにちょっとだけ
地元の風に、「あの街に手心加えていたのか?」と
聞いたら「そんな事はない。普段通りにやっていた」
との返事があったので、神の加護でもあったのか
と、思う事にしています。
街に住んでる人々は、思いがけない暖冬に
皆(みな)それぞれに喜んで、その恩恵にあずかって
例年よりは安らいだ冬を過ごしておりました。
子猫はあいもかわらずに元気に遊んでいましたが
何処で寝泊まりしてるのか、何を飲み食いしてるのか
やはり不明のままでした。ある時街の子どもたち。
子猫の後をつけました。何度も挑戦しましたが、
毎回とある路地裏で、見失うのが常でした。
仔猫は遊んで貰ってるつもりでいるのか楽しそう。
同じ所で煙(けむ)に巻く追跡ごっこは一番の
お楽しみにもなった様。子どもの姿をみつけると
駆け寄って来るまでになり、大人も時には暖かな
ミルクやスープを差し入れて、一緒に過していたのです。
誰もが子猫を可愛がり、子猫も人によく懐き、
温もり豊かな関係が成立していたのでした。
これならこの子も寂しくはないかと思いそれっきり
暫く子猫の事なんてすっかり忘れていましたが
長く厳しい冬が去り、春の日和が戻った頃
街で騒ぎが起きました。街中の人が飛び出して
仔猫を捜していたのです。ついにこの日が来たのかと
私も捜して見ましたが、姿はおろか気配すら
感じられなくなったので、仔猫は街から出ていった
と、考えるしかありません。それだけの事なのですが
人々の悲しみ様は大変なもので、なかでも
とりわけ深い悲しみに沈んでいたのが子どもたち。
しかし彼らは泣きません。再会できる日を信じ
前だけを見て生きていく。それが街の子の生き方。
優しいだけじゃないのです。幼き日々の思い出は
彼らののちの人生にまばゆい光を投げかけて
どんな時でも変わらずに護ってくれる事でしょう。
あとで判った事ですが、風の便りによりますと、
砂漠の街の南門(みなみもん)手前の地下に、人知れず
二匹の猫の亡骸が埋まっているという事です。
彼らは街に着く前に力が尽きて、肉体は
斃れたものの、魂魄は生への思い捨てがたく、
街を目指したらしいのです。とりわけ仔猫の遊びへの
熱い思いを知る親は、このまま我が子の魂が
彷徨う事にならないか、余程心配したらしく
仔猫が十分楽しげに遊ぶ姿を認めると
程なく親は昇天し、残った子もまた思い切り
遊び倒して満足し、遠いところに旅立った、
というのが事の真相であるそうですが、どうでしょう?
ちなみに街が授かった加護はホントに神からの
ミニサプライズだったとか。
風の便りはもう一つ、梁塵秘抄の一節を
伝えてきました。それはもう、印象的な歌でした。
遠い東の果ての国。そこに伝わる古い歌。
遊びをせんとや生まれけむ。 戯れせんとや生まれけむ。
遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ
それでは今日はこの辺で。皆様どうぞお元気で。