偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎
「彼女の名前はなんていうの?」
左手首の時計を見て稍の脈拍数を確かめながら、医者は山口に尋ねる。
仕事用に使っているのは、グランドセイコーのスプリングドライブである。
シンプルで文字盤が見やすいし、国内ブランドだから患者の前でも厭味なくつけられる。
さらに、世界で初めて機械式とクォーツのそれぞれの良さを活かした「ハイブリッド」なのだ。
「や、ややさん……麻生 稍さんです」
医者、と聞いて山口は急に態度を改め、自然と稍から離れて彼に任せていた。
「……ややさん、ややさん、わかりますか?」
医者は稍の耳元で呼びかけた。
「食べ物のアレルギーや喘息とかの持病などはない?」
稍は真っ白な唇を微かに動かした。
「ない」と言ったようだ。
「……先刻までの状況からすると、アナフィラキシーショックでも発作でもなくて、パニック症状だな……救急搬送する必要はないか」
医者はぼそりとつぶやくと、
「ちょっと、君、先刻このホテルの部屋のカードキーをこれ見よがしに出してたよね?彼女をこれから一緒に運ぶからさ。どこの部屋か教えてよ」
こともなげに山口に告げる。
「な…なんでそんなこと知ってるんですかっ?」
山口がまた犬のように吠える。
「……うるさいなぁ、病人の前で騒がないでくれる?」
山口はじろり、と睨まれた。
そのとき、ようやく上階に上がる箱がやってきた。