今宵は遣らずの雨
「心して聞け、小夜里」
浅野 宮内少輔は、小夜里をまっすぐに見据えて告げた。
「此度、他郷よりこの地に戻って参ったのは、兄である御前様(藩主)より、安芸広島新田藩を立藩するよう仰せがあったからだ」
今の八代の公方様(徳川吉宗)の今までにないお改め(享保の改革)の一つに、諸藩の雑木林を切り開いて新たな田畑にすることがあった。
税収である年貢米を増やすための策である。
それによって、いろんな藩で「新田」が広がったため、今度はそこを治める「支藩」を立藩することが許されるようになった。
支藩を治める藩主には、次男や三男があてられることが多かった。
これは、大藩に世継ぎが生まれない際には、支藩から供することを求められたからだ。
公方様も世継ぎに恵まれない折には、尾張・水戸・紀伊の「御三家」から次の公方様が選ばれる。
現に、今の公方様が、紀伊藩より千代田のお城に迎えられていた。