今宵は遣らずの雨
小夜里はつゆも気づかずにいたが、実はここ半月ばかり、家の周りは藩のお役人たちが「厳戒態勢」でお護りする御役目にあたっていた。
此度立藩される、安芸広島新田藩の初代藩主の宮内少輔様がおられるからだ。
もし、宮内少輔の身になにかあらば、何人ものお役人の腹が召し出されることになったであろう。
町家の者たちは、日が暮れると見かけぬお役人風の者が辺りにいることから、小夜里のところに小太郎の父親である「大名家」の者が来ていることに、もちろん気づいていた。
そして、小夜里と小太郎に「仕合わせ」が訪れますようにと願って、そっとしていた。
ただ、裏店の女房たちの井戸端での噂話の口は、封じることはできなかったが。
周りの者たちにこんな迷惑千万なことをやってまで、宮内少輔は小夜里を我が「奥」にしたかった。
そして、一生のうちでたった半月ばかりでもいいから、下っ端の藩士のような、ささやかでも情の通った「夫婦の暮らし」を、小夜里としてみたかったのだ。
そのために、我が子である鍋二郎ですら、この間は「藩道場」へ追いやってしまった。
もちろん男親として、鍋二郎にはこの機会に、藩士の子弟たちと寝泊まりする中で、親睦を深めながら切磋琢磨して、もっと剣術の腕を上げてほしいというのもあるが。