今宵は遣らずの雨
亡くなった初音の父親である竹内 玄丞は、もともと安芸国にある広島藩に召し抱えられた御殿医だった。
それが、他家に嫁いでいた初音の母親である千都世が離縁したのを機に、前々から人知れず想いを寄せていたのが堪え切れなくなって理無い仲となる。
千都世は既に離縁しているのだから、大手を振って一緒になればよかったものを、玄丞は律儀にも御殿医を辞めて千都世を娶った。
ちょうどそのとき、安芸国の広島新田藩という支藩の藩主となった幼なじみが「御殿医として召し抱えてやる」と云うので、夫婦して江戸へ移ってきたのだ。
知行(治める土地)を持たない広島新田藩は、妻子ともどもずっと江戸詰めである。
だが、石高約四十万石の広島藩と、蔵米を供与された三万石の広島新田藩とでは、あまりにも賜る禄米が違いすぎた。
そこで玄丞は、広島新田藩主の住む青山の御屋敷の、通りを渡ったすぐにある緑町に仕舞家を借りて、藩主の御用がないときには町医をすることにした。
御殿医様が普通の町家や百姓を診てくれるというのが評判となり、玄丞は往診に飛び回る暮らしとなった。