今宵は遣らずの雨

あの日は、御前様(ごぜんさま)(藩主)の奥方様のお産が始まり、御殿医である父親は産婆の手に負えぬときに備えて御屋敷で待機していた。
今夜は帰ってこられないであろう。


陽が落ちる(とき)には、すっかり雨脚が強くなっていた。

表を戸締りした初音は裏口へ回った。

一度戸を開けて、外を見ようとした矢先、黒い影が目の前を通り過ぎた。

慌ててその方を向くと、一人の男が既に土間まで入っていた。

その者の顔を見て、初音は息を呑んだ。


……浅野(あさの) 兵部少輔(ひょうぶしょうゆう) 長喬(ながたか)だった。


安芸(あき)広島新田(しんでん)藩の二代藩主……御前様である。

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