今宵は遣らずの雨
「ぬ…抜いてみろよっ……ど…どうせ竹光だろっ」
湧玄が声を震わせながらも、煽るようなことを云う。豪農の出の本音だった。
武家は役人なので威張ってはいるが、禄米だけでやり繰りせねばならぬため、内所(家計)は火の車だ。
禄米を銭に替える商売をしている「札差」には、頭が上がらない。
だから、偉そうに差している大小の刀も、先祖伝来のものはとっくに質に流して、代わりに竹光や木刀であることも珍しくない。
また、確かに「切り捨て御免」といって、武家が無礼を働いた町家の者に切りかかることも許されてはいる。
しかし、だからといって無闇矢鱈に切り殺せるものではない。
切り捨てた武家の方も、それ相応の理由がなければ、直参(旗本・御家人)は御公儀(江戸幕府)から、藩士は藩から、咎めを受けることになる。
理不尽なことで斬り殺されたとなれば、いつ一揆や打ちこわしを起こされるかしれやしない。
死人が出るなど大事になれば、責任を取って腹を差し出さればならぬことになるやもしれぬ。
そもそも、武家より町家や百姓の方がずっと多いのだ。揉め事はないに越したことはない。