今宵は遣らずの雨
「……多聞、あれからどうなった」
初音に狼藉を働き、兵部少輔の家来によって町方の番所に連れていかれた稲田 湧玄のことである。
「どうもこうもあるかってんだ。
父親が出てきて、御奉行に金子を積みやがったのよ」
湧玄の父親は多摩の名主で、豪農だった。
「で、おめぇさん、どうするつもりだい。
奴にゃあ、おめぇの女房が犯られかけたんだ。このまま、おめおめと引っ込む気かい」
多聞が上目遣いでじろり、と見る。
しっかり湧玄を吐かせたようだ。
「……おめぇの女房つってもなぁ、緑町の玄丞先生んとこの初音ちゃんじゃねぇか。
先生には餓鬼ん頃から厭ってほど世話になってっし、うちの志鶴も初音ちゃんとは手習所で一緒だったってんだ」
多聞の眉間に皺が寄る。志鶴とは多聞の新造の名である。
「おめぇが奴を許せねぇっつうんなら、御奉行の一人や二人、なんとか云いくるめてやるぜ。
……人足寄場送りにするかい。それとも島流しにするかい」