今宵は遣らずの雨
◇◆◇ 歴史資料 ◇◆◇
◆安藝廣島新田藩主/青山淺野家◆
八代将軍 德川 吉宗の時代、安藝廣島藩が新たに新田開発した土地を分家に与えることによって、本家に跡継ぎが生まれない場合に備える藩策として、享保十五年に立藩された。
代々の藩主は、知行(治める土地)を持たない代わりに参勤交代(一年ごとに領地と江戸とを往復すること)を免れ、妻子と共に江戸の青山に定府した。
◇淺野 長賢
安藝廣島新田藩 初代藩主
(元禄六年出生、延享元年没)
幼名:萬吉
字(通名):民部・大膳
官位:兵部少輔 のちに 宮内少輔
正室および側室:出自不詳
嫡子:淺野 長喬(安藝廣島新田藩二代藩主)
娘:能姫 養寿院(豊前小倉藩四代藩主 小笠原 忠総の正室)
瑞仙院(周防德山藩六代藩主 毛利 廣寬の正室)
元禄六年、安藝廣島藩 四代藩主の淺野 綱長の三男として出生。
享保十五年、兄で安藝廣島五代藩主の淺野 吉長から三万石を分与され、支藩である安藝廣島新田藩を立藩。
延享元年、五十二歳で死去し、長男の淺野 長喬が二代藩主となる。
◇淺野 長喬
安藝廣島新田藩 二代藩主
(享保十六年出生、明和六年没)
幼名:鍋二郎(鍋次郎・鍋三郎の説あり)
字(通名):玄蕃、舎人
官位:兵部少輔
正室および側室:出自不詳
嫡子:淺野 長容(安藝廣島新田藩四代藩主)
娘:名前不詳(因幡東館新田藩六代藩主の池田 澄時と婚約するが早世により解消後、肥後宇土藩六代藩主の細川 立禮と婚約するが解消。のちに出羽新庄藩八代藩主 戸澤 正親の正室)
養嗣子:淺野 長員(安藝廣島新田藩三代藩主)
享保十六年、安藝廣島新田藩 初代藩主の淺野 長賢の長男として出生。
延享元年、父の死去により二代藩主となる。
存命中に男子が生まれなかったため、明和六年十二月十日に本家の安藝廣島藩より、六代藩主 淺野 宗恒の三男で、七代藩主の淺野 重晟の弟である淺野 長員を養嗣子として迎え、その二日後に三十八歳で死去。
その翌年、長男の淺野 長容が出生。
◇淺野 長容
安藝廣島新田藩 四代藩主
(明和七年出生、文政七年没)
幼名:粂之助
字(通名):左京・兵部
官位:近江守
正室:邑姫(安藝廣島藩七代藩主 淺野 重晟の娘)
嫡子:なし
娘:峻姫 (安藝廣島新田藩五代藩主 のちに 安藝廣島藩十一代藩主 淺野 長訓の正室)
養嗣子:淺野 長訓(安藝廣島新田藩五代藩主 のちに 安藝廣島藩十一代藩主)
明和七年、前年に死去した安藝廣島新田藩 二代藩主の淺野 長喬の長男として出生。
家督は既に本家の安藝廣島藩より養嗣子として迎えられた淺野 長員が安藝廣島新田藩 三代藩主として継いでいたが、寛政十二年に隠居したため、同年、安藝廣島新田藩 四代藩主となる。
文政元年、娘の峻姫の婿として安藝廣島藩より迎えられた淺野 長訓が養嗣子となる。
文政七年、五十五歳で死去。同年、淺野 長訓が五代藩主となる。
その後、淺野 長訓は、安政5年の本家の安藝廣島藩 十代藩主淺野 慶熾の急死によって、安藝廣島藩 十一代藩主となる。
◆周防德山藩主/毛利家◆
◇毛利 廣寬
周防德山藩 六代藩主
(享保二十年出生、宝暦十四年没)
幼名:粂三郎
字(通名):不詳
官位:志摩守
正室:瑞仙院(安藝廣島新田藩初代藩主 淺野 長賢の娘)
側室:川田氏の娘
嫡子:なし
娘:喜勢(母は川田氏の娘、下野足利藩五代藩主 戸田 忠喬の側室)
名前不詳(母は川田氏の娘、美濃守 坪内 定系の側室)
養嗣子:毛利 就馴(毛利 廣寬の弟、周防德山藩七代藩主)
享保二十年、周防德山藩 五代藩主 毛利 廣豊の次男として出生。
宝暦八年、早世した兄に代わり、六代藩主となる。
宝暦十四年、三十二歳で死去。同年、弟で養嗣子の毛利 就馴が七代藩主となる。