彼がうんだもの
彼がうんだもの
雨が降った日の廊下を歩くと靴底はキュッキュ、キュッキュと不思議な音を奏でた。
「何だかまるで不思議な生き物の鳴き声みたいだよな」
彼が言った。些細な一言なのに、それは何故かずっとあとになってもわたしの頭に不思議とこびりついていた。
そうだね。と、わたしはその時答えたのだけれど。わたしはあまり雨の日は好きではなかった。べとべとしてジメジメしていて気持ち悪い。
そんなわたしとは違って彼は昔から雨の日がものすごく好きだった。
まだ小さい頃には、わたしのうちの庭を雨の日には傘もささずに嬉しそうにして、びしょ濡れになるのもかまわず外を走り回っていた。青々とした芝生が茂っていて、雨粒が滴る中をばしゃばしゃと黄色の長靴を履いたまま水溜りを潰すように走り回っていた。一体何をしているのだろう。わたしはその頃から思っていた。
確かその時の彼の黒い髪は雨に濡れて、しっとりと首筋にまとわりついていた。
降りしきる雨をしっかり見ようと、上を向いて浮かべた陽気な笑顔はきっと今も変わらないと思う。
わたしと彼は小さい頃から家が近くで、彼は昔からわたしの大事な友人だった。
小学校では喧嘩ばかりしていたし、中学に入ってからは、勉強そっちのけの彼にわたしが家庭教師のような事をしていた。
高校に入って彼と違う学校になってしまい、その時の事をわたしは何故かあまりよく覚えていない。
わたしは生物の研究をする為にそれなりに勉強してこの大学に入学した。
そして楽しい大学生活も終わり、わたしは研究を続けていく為に修士に入り、博士課程に入ってひたすら灰色の実験室とくすんだ白い仮眠ベッドと、それから濁った不鮮明なビーカーやスライドガラスに埋もれる日々を過ごす。
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