正述心緒
惑う

1

 初めて付き合ったのは、中1の時、相手は3年の女子だった。

 それまで全く面識が無く、どうしていきなり、しかも1年生の俺に告白してくるのか、さっぱり意味が分からなかったが、取りあえず受けたのは、純粋に興味があったからだ。

 何度か遊びに行く内に気が付いたのが、多分、この人は初めてじゃ無いんだろうという事だった。
 こういう時はこうしてくれないと―――といった指示を出される事が多かったし、やたらと腕を組んでは胸を押し付けてきた。
 1年の女子に比べると、やはり育っているというのか、まあ、割と大きい胸で、必然的に心臓がバクバクして体が素直に反応していた。

 キスをしたのは、今思うとこれ以上ないぐらいベタな、遊園地の観覧車で。
 せがまれて、押し当てた唇の感触は、ヌルリ…としていた。

 要するに、その日付けていた、グロスだか何だか知らないが、唇をテラテラと光らせていたものが、ヌルヌルしていたという訳で。

 ―――正直、かなりのトラウマになった。

 オマケに、その後直ぐに別れたその女に、キスが下手だと言い広められたものだから、もう懲り懲りだと思うのは当然だと思う。
 女に優しく振る舞うという事が、あまり出来なくなったのもこの頃からで、必要がある場合を除き、自分から話し掛ける事は無くなった―――のにも拘わらず、何故か告られる事が逆に増えたのはどういう訳なのか。

「そりゃ、まあ、あれだよ。少女漫画的な、乙女の妄想ってヤツだろ。」
「なんだ、そりゃ。」
「俺達(ら)と一緒ん時は、ふざけたり大笑いしたりするだろ?だから、冷たく見えても、彼女になったら優しくしてもらえるんじゃないかって、そう思うんだよ。」
「アホらしい…」
「まあそうだけどさ~、ハル位ガタイ良くって顔もイケてりゃ、そういう妄想したくもなるんじゃね?」

 要するに、見てくれだけか…と悟ってしまえば、後はもうどうでも良くなった。最初の女もそうだったのだ。1年にしては背が高くて目立っていた。それだけだ。

 身長を生かして、中高はバレー部に所属して汗を流した。全国には行けなかったが、県内ではまあまあ強かったと思う。
 当然練習も厳しくて、そうそう会う時間なんて無いと言っても、それでもいいというから何人かと付き合った。
 もちろん、長続きなどする訳がなかった。付き合ったら、“そっち”を優先するとでも思うんだろうか?

「あたしのこと、好きじゃないよね?」
 とお決まりの台詞にも慣れた頃、大学に入り、透子に出会った。


 何が違っていたかと言えば、単純に、透子は女の括りに入っていなかった。
 女にしては背が高く、細いと言えば聞こえがいいが、要は出るとこも出てない…と最初は思っていたから、それ程女だという意識は無かった。

 最初に話をしたのは、設計実習の時だったと思う。
 与えられた課題を、どうにか形にして提出しようと立ち上がった時、ひらりと落ちたそれを透子が拾い上げて、小首を傾げたのだ。

「これ…1階からどうやって2階に上がるの?」

 課題は2階建ての住宅だったのだが、確かに2階には階段の出口を入れていたのに、1階に登り口が無い。
「あー…」
 しまったな…と思いながら、頭を掻いた。正直、結構一杯一杯で、1から考え直す気力が湧かなかったのだ。
 クス…と笑い声が聞こえたのはその時で、正直、カチンときた。笑うか?人の失敗を?!―――と、睨み付けると、気付いた透子が「ゴメン」と言いながらまた笑った。
「面白いな、と思って。」
「何が?」
「うん、いっそこう、消防士さんみたいに、バーを伝って降りるとか…」
「降りれても、登れねえだろ?!」
「あ、そっか。」
 吞気な物言いに脱力してしまった。何なんだよ、コイツは…そう思って見ると、まだ腕を組んで考えながら、図面を覗き込んでいた。
「このスペースなら、らせん階段とか?」
「らせん?」
「うん、何かで見た事あるよ、そういう家。お年寄りには向かないけどね。」
 教授のとこに建築雑誌のバックナンバー置いてあるから、行って見てみるといいよ―――そう言うと、透子はハイ、と手の平にチョコを二粒乗せてきて、もう一度笑った。

「頭使ったときはこれが1番だよね。」

 恐らくポケットに入れていたに違いない、そのチョコは体温で柔らかくなっていて、こんなもん人に寄越すか?と思いながらも、それを食べて課題を仕上げた。

 言われた通り、教授のとこに行った理由は自分でも分からない。だが、そこに、多分居るだろう、と何処かで期待していた気がする。

 いつ頃からのか分からない程、沢山のバックナンバーが書棚に並んだ部屋で、透子は1人、窓枠に腰掛けて雑誌を読んでいた。―――とても楽しそうに。
 窓からの光を受けて、自然なままの黒髪が、僅かに茶色く光って見えた。

「…そんな面白い事、書いてあんのか?」
 声をかけると、一瞬、ビクッとしたものの、こっちを見て、肩の力を抜いた。
「うん、ほら、東京ドームの事、載ってるよ。」
 昭和の終わりに出来た、日本で最初の全天候型ドーム球場。屋根に鉄骨を掛け渡すのでなく、特殊な硝子繊維膜材を、空気圧で持ち上げるという工法も話題だった…なんて、正直全然知らなかったし、プロ野球を見ないから興味も無かった。
 だが、楽しそうにそれを眺めている透子の隣で、その雑誌を覗き込んでいると、不思議と気分が高揚してきたのを覚えている。
「膜自体は薄いから、日中は太陽光が入って、照明が要らないんだって、スゴいよね。」
 へえ…と答えながら、実際に見ていたのは、そこを指し示す細い指だった事に、その時は気付いてなかった。

 それからは、透子の側に居ることが多くなった。
 女子は1人だったから、放っておくと色々問題がありそうだと思ったのもある。
 度々教授の書庫を訪れるようになると、当然覚えもめでたくなり、透子のことを気に掛けてやってくれと頼まれた事もまた、理由の1つだったけれど、多分、言われなくても側に居ただろうと思う。

 話をするのが楽しかった。自分には無い発想が面白かった。からかうと半眼になって睨み付けてくるけど、それがちっとも恐くないから余計に可笑しかった。

 でも、それだけだった。 

 他のヤツらよりは側にいたのに、他のヤツらと、ほとんど立ち位置が変わらなかったから、コイツは“そっち”方面には疎くて鈍いからしょうが無いと勝手に決めつけて、それ以上踏み込もうとしなかった。
 何しろ、キスにすら呆れ顔で返されたのだから。

 きっと、誰にも―――

 そう思う事で、諦めていたのだ、多分。
 でも大学を出た後、自分の知らない場所で、透子が誰に会って、どうなるかはわからない。
 無意識に連絡先を教えなかったのは、そのせいだ。

 知りたくなかったのだ。きっと。
 透子が誰かのものになってしまう事を。




 停車した車の中で、手の平に乗せたままの携帯を見つめ続けた。シンジから連絡があったのはついさっきだ。

「透子んから連絡あったよ。番号変わったの、教えてなかったの?」
 何やってんの、相変わらず…と呆れた声で、教えていいの?と聞かれた。もちろん、そうでないと意味が無い。

 多分知ったんだろう、自分の設計した案件を乗っ取られそうになっている事を。だから、必ず、かけてくる。

 ―――ピリリリリリリ…

 “透子”と、表示された文字に、口角が上がった。


< 10 / 11 >

この作品をシェア

pagetop