正述心緒
2
待ち合わせに指定したホテルのラウンジは、商談等で何度か使った事があった。…女を連れて来た事も。
席についてすぐ、やって来たフロアスタッフに、一部屋チャージしてもらうように頼むと、部屋のタイプを聞かれ、少し悩んでからスイートのツインを頼んだ。
どうかしている…と自分でもわかったけれど、あからさまにダブルを頼まなかっただけ、この時はまだ少し、まともだったのかもしれない。
頼んだウォッカを口に含んだ所で、スタッフに案内された透子がやって来た。
相変わらずほっそりとした体をパンツスーツに包んで。
昨夜は、あの後どうしたんだろう…と、オレンジジュースを頼んでいる横顔を密かに伺う。
目の下に少し隈があるように見えるのは、病気のせいだろうか、それとも―――
くだらない想像に、頭を振った。
―――奪(と)っちゃえば?
そう言った、彼女の真意はわからない。
透子の代わりを求めたつもりは全く無かったが、こうしてみると、雰囲気は似ているかもしれない。
だが、彼女は透子のような笑い方をしなかった。
面白そうに目を細めたり、大きく口を開けて笑ったり、なんて―――そこまで考えて、無意識に目を眇めた。
綻ぶ、とでも言うんだろうか。まるで、花のように。
あの男に呼ばれた瞬間、透子の顔が変わった。
薄らと開いた唇が、酷く扇情的で。
そしてその顔は、大学にいる頃、少なくとも自分が見た事の無い、“女”の顔だった。
ひとしきり辺りを観察して―――こういう所は変わってない。カメラがあったら写真も撮りかねない勢いだ。やって来たオレンジジュースを一口飲んでから、透子は居住まいを正した。
「こういうトコ、よく来るの?」
「…まぁ、それなりにな。商談とか色々。」
透子はふーん、と言いながら、オレンジジュースをもう一口飲む。グラスをまじまじと見ているあたり、値段を気にしているんだろうか?
「それより、話―――」
「体はもういいのか?」
遮るように聞くと、驚いたように目を丸くする。
インフルだったんだろ?と言えば、更に。思わず肩を竦めた。
こんな表情だって、4年前と変わらないのに。
「なんで、知ってるの?」
「事務所に行ったからな。…まあ、昔の誼で。」
今、営業だって言ったろ?と言ったものの、いまいち納得のいかない表情をしている。
無理もない。自分でもこじつけてるとしか思えない。
ただ、顔が見たかった―――それだけの事だったから。
「お前居なかったし、社長に挨拶だけして帰ろうと思ったら、高橋(アイツ)が追いかけてきて言ったんだよ、良い案件があるってな。」
そこまで言って、ショットグラスをテーブルに置き、膝の上に腕を乗せて上目遣いに透子を見た。
直ぐに透子の設計だと分かった。
社長と話した後でなくても、高橋の言い分がおかしい事には気づいただろう。
実際、今日、社長からも電話があったのだ。高橋から何か聞いていないかと。
「っ、それならどうして?!」
「俺が断れば、他に持ってかれるだけだろ? そうなりゃ、完全に手出し出来なくなるんじゃねのか?」
「あ―――」
透子が、ハッとしたように目を見開き、次の瞬間、顔を綻ばせる。
咄嗟に、視線を伏せた。その顔が見たかったはずなのに。
多分、それが、昨日とは違う顔だからだ。
あの男に見せたような―――
「…良かった。」
透子が呟く。ふ…と微かに零れた笑いに顔を上げると、透子が嬉しそうに微笑んでいる。
「何がおかしいんだよ?」
「ん?うん、シノがシノで良かったと思って。あんな悪口言うの、らしくないからビックリしたよ。」
一瞬意味がわからなかった。
俺が俺?―――どういう意味だ?
らしくないって、おまえがらしいと思う俺はどんな奴なんだよ?
そう聞こうと思った、その時だった。
ブブブブブ―――
と、透子が机の上に置いていた携帯が振動した。
「あ、―――ゴメンね?」
透子は一言謝ると、体を横に背けて携帯を耳に押し当てた。
「…もしもし」
その声の、甘さに。
息を呑んだ。
クス…と零れる笑い声。
これからの予定を言い聞かせる声すらも、甘い。
昨日、こちらに向けて寄越した鋭い視線が蘇る。
透子の性格からいって、その男に何も言わずここに来るとは思えなかった。
特に深い意味も無く、ただの連絡事項として、俺に会いに行くと伝えたに違いない。
だから、わざわざ電話をかけてきたのだ。
そう思いついた途端、暗い思いが湧き上がった。
―――買ってやるよ。
口元を歪めながら、ショットグラスを手に取った。
まだ横を向いている、透子の前のグラスに、中身を入れる。
わずかに残った雫を吸い取った時、透子が電話を終えた。
グラスをテーブルに置いて、膝に腕を置く。
「―――同居人がいるって、八木とかいうのが言ってたけど。」
「あー、うん…」
「昨日の、ヤツか。」
頬を染めて、照れくさそうに頷く姿に鼻を鳴らす。聞くまでも無い、か。
「それで、さっきの続きだけど。」
「あ、うん。」
居住まいを正した透子を、真っ直ぐに見据えた。
「もう契約済んでるから、そっちに返すのは無理だ。」
瞬間、透子の顔が強張った。
そういえば、こんな顔も、見た事が無かった。
席についてすぐ、やって来たフロアスタッフに、一部屋チャージしてもらうように頼むと、部屋のタイプを聞かれ、少し悩んでからスイートのツインを頼んだ。
どうかしている…と自分でもわかったけれど、あからさまにダブルを頼まなかっただけ、この時はまだ少し、まともだったのかもしれない。
頼んだウォッカを口に含んだ所で、スタッフに案内された透子がやって来た。
相変わらずほっそりとした体をパンツスーツに包んで。
昨夜は、あの後どうしたんだろう…と、オレンジジュースを頼んでいる横顔を密かに伺う。
目の下に少し隈があるように見えるのは、病気のせいだろうか、それとも―――
くだらない想像に、頭を振った。
―――奪(と)っちゃえば?
そう言った、彼女の真意はわからない。
透子の代わりを求めたつもりは全く無かったが、こうしてみると、雰囲気は似ているかもしれない。
だが、彼女は透子のような笑い方をしなかった。
面白そうに目を細めたり、大きく口を開けて笑ったり、なんて―――そこまで考えて、無意識に目を眇めた。
綻ぶ、とでも言うんだろうか。まるで、花のように。
あの男に呼ばれた瞬間、透子の顔が変わった。
薄らと開いた唇が、酷く扇情的で。
そしてその顔は、大学にいる頃、少なくとも自分が見た事の無い、“女”の顔だった。
ひとしきり辺りを観察して―――こういう所は変わってない。カメラがあったら写真も撮りかねない勢いだ。やって来たオレンジジュースを一口飲んでから、透子は居住まいを正した。
「こういうトコ、よく来るの?」
「…まぁ、それなりにな。商談とか色々。」
透子はふーん、と言いながら、オレンジジュースをもう一口飲む。グラスをまじまじと見ているあたり、値段を気にしているんだろうか?
「それより、話―――」
「体はもういいのか?」
遮るように聞くと、驚いたように目を丸くする。
インフルだったんだろ?と言えば、更に。思わず肩を竦めた。
こんな表情だって、4年前と変わらないのに。
「なんで、知ってるの?」
「事務所に行ったからな。…まあ、昔の誼で。」
今、営業だって言ったろ?と言ったものの、いまいち納得のいかない表情をしている。
無理もない。自分でもこじつけてるとしか思えない。
ただ、顔が見たかった―――それだけの事だったから。
「お前居なかったし、社長に挨拶だけして帰ろうと思ったら、高橋(アイツ)が追いかけてきて言ったんだよ、良い案件があるってな。」
そこまで言って、ショットグラスをテーブルに置き、膝の上に腕を乗せて上目遣いに透子を見た。
直ぐに透子の設計だと分かった。
社長と話した後でなくても、高橋の言い分がおかしい事には気づいただろう。
実際、今日、社長からも電話があったのだ。高橋から何か聞いていないかと。
「っ、それならどうして?!」
「俺が断れば、他に持ってかれるだけだろ? そうなりゃ、完全に手出し出来なくなるんじゃねのか?」
「あ―――」
透子が、ハッとしたように目を見開き、次の瞬間、顔を綻ばせる。
咄嗟に、視線を伏せた。その顔が見たかったはずなのに。
多分、それが、昨日とは違う顔だからだ。
あの男に見せたような―――
「…良かった。」
透子が呟く。ふ…と微かに零れた笑いに顔を上げると、透子が嬉しそうに微笑んでいる。
「何がおかしいんだよ?」
「ん?うん、シノがシノで良かったと思って。あんな悪口言うの、らしくないからビックリしたよ。」
一瞬意味がわからなかった。
俺が俺?―――どういう意味だ?
らしくないって、おまえがらしいと思う俺はどんな奴なんだよ?
そう聞こうと思った、その時だった。
ブブブブブ―――
と、透子が机の上に置いていた携帯が振動した。
「あ、―――ゴメンね?」
透子は一言謝ると、体を横に背けて携帯を耳に押し当てた。
「…もしもし」
その声の、甘さに。
息を呑んだ。
クス…と零れる笑い声。
これからの予定を言い聞かせる声すらも、甘い。
昨日、こちらに向けて寄越した鋭い視線が蘇る。
透子の性格からいって、その男に何も言わずここに来るとは思えなかった。
特に深い意味も無く、ただの連絡事項として、俺に会いに行くと伝えたに違いない。
だから、わざわざ電話をかけてきたのだ。
そう思いついた途端、暗い思いが湧き上がった。
―――買ってやるよ。
口元を歪めながら、ショットグラスを手に取った。
まだ横を向いている、透子の前のグラスに、中身を入れる。
わずかに残った雫を吸い取った時、透子が電話を終えた。
グラスをテーブルに置いて、膝に腕を置く。
「―――同居人がいるって、八木とかいうのが言ってたけど。」
「あー、うん…」
「昨日の、ヤツか。」
頬を染めて、照れくさそうに頷く姿に鼻を鳴らす。聞くまでも無い、か。
「それで、さっきの続きだけど。」
「あ、うん。」
居住まいを正した透子を、真っ直ぐに見据えた。
「もう契約済んでるから、そっちに返すのは無理だ。」
瞬間、透子の顔が強張った。
そういえば、こんな顔も、見た事が無かった。