正述心緒

3

 10年、時代を間違えてるな―――


 最初に浮かんだのは嘲笑だった。

 失笑を禁じ得ないその姿は、今時珍しい色合いのダブルのスーツで、片腕にあからさまにわかるブランド物のクラッチバッグを抱えていた。

 高橋という名前の、その男は。

 狂乱の時代、とも言えるバブルの終わりに入ってきた社員で、その前に入っていた“先輩”達に感化されて、斜陽期に入っていた時代に対応出来ずにいた。

 社長がケチ臭い―――が、口癖で。

 残業したのに、タクシー代も出ないと言いながら、毎日のように高い昼飯を食いに行っていた。
 駅前に新しく出来たイタリアンのパスタが絶品だとか、ちょっと入ったトコにあるカフェの飯が美味いとか。
 大して仲良くも無いのにいちいち人に誘いをかけるのは、あれか、一人飯が出来ないからか、と、呆れていた事を思い出す。

 どっかで聞いたような店名に、女子かよ、と、心の中でツッコミを入れつつ、自分はコンビニで買って来てるんで、といつも躱していたのは、どう考えても、時間のムダとしか思えなかったからだ。

 その位、面白みのない―――いや、中身のない男だった。
 それなのに。

「なあ、ちょっと付き合えよ。」

 美味い話があるんだ―――なんて。

 どうしてこの時、ついていこうと思ったのか。
 後から考えてもわからなかったが、気が付くと、この4年で培った営業スマイルを貼り付けつつ、不自然なまでにデカい肩パットを見下ろしながら、近くにあった、これまた最近珍しい、いわゆる“喫茶店(サテン)”のドアを潜っていた。

 そして、それが正解だったと気が付いたのは、勿体ぶったような笑みと共に差し出された、ある案件の資料を見せられた時だった。


「…これは…?」

「今、手一杯なんだよ。それで社長に頼まれて、他所に振ってるんだけど、お前んとこはどうだ?」
 何言ってんだコイツ…と思いながらエスキス―――設計の下描きスケッチを食い入るように見つめた。
 少しクセのある走り書き。
 見覚えのあるそれに、咄嗟に先程社長と交わした会話が蘇る。

 これは、さっき言っていた案件じゃないだろうか?
 アイツの―――

「ホント、ロクでもねぇっつーか、同棲相手のインフルエンザもらって休むとか、あり得ねえよ。」
 その言葉に、コーヒーカップを持つ手が止まった。

 今、何て?

「残業もせずに、デートばっかして許されるんだから、いいご身分だよなぁ。実は枕営業やってんじゃねえかと思うけど、まあ、あんな貧相なカラダじゃムリか。」
 クックッと笑う顔に、手に持ったコーヒーをぶっ掛けたい気持ちを、何とか抑えたのは、そこに書かれた懐かしい文字のせいだった。

“夫人の、花壇アリ”

 撤去用の古い図面に書きこまれた文字。
 これを書いている時の、恐らく柔らかだったに違いない、その笑顔が目裏に浮かび上がる。

 一瞬、目を閉じて。

 次に開けた時には、口角を上げる事に成功していた。
 恐らく、目だけは隠す事が出来なかったに違いないが、そんな事に気付く男では無いだろう。

「ひとまず、預かってって良いですか?俺1人じゃ決められないんで。実際、結構タイトですよね…なかなか受けるとこないんじゃないかな…」
「あー、…やっぱ、そうか?」
 あからさまな牽制だったが、功を奏したようだ。
「まあ、また連絡しますよ。」
 和やかに笑って言うと、頼む、と、結構切実そうな顔で言ってきた。

 この様子なら、他所に持って行かれる前に何とか出来そうだ、と。
 内心でほくそ笑んだ。
 とにかく、コイツを野放しには出来ない。

 伝票を手に立ち上がる。
 払いますよ、と言う代わりに、笑顔でそれを掲げてみせると、高橋は腕を組んで鷹揚に頷いた。
 ハッキリ言って、似合ってなかったが。

 背中を向けて、視線を落とす。

 反吐が出そうな、その気持ちを呑み込んで店を出た。
 吹き抜ける風に、一瞬背筋が震えたのは、武者震いか。

 必ず、手に入れる。

 そう思っていた。
 この案件は、守ってみせると。

 けれども。

 高橋の口から吐き出されたアイツに対する暴言に、自分でも驚くほどの強い怒りに支配されて、もう一つの“事実”が頭からすり抜けていた事に。

 この時は、気が付かなかった。

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