正述心緒
5
ワインを水のようにしこたま飲んで、高橋が言った。
「車なんだけど、乗っていくか?」
駐車料金出してくれれば、家の方に寄ってってやるよ、という台詞に呆れ返る。
ばかじゃねぇの、こいつ―――
高速道路で飲酒運転のトラックが自家用車に突っ込んだ痛ましい事故は、まだ記憶に新しい。
世論は飲酒運転の罰則を強化する方向に動いてるというのに、どうかしているとしか思えない。
現にウチの会社では、社内全体に、飲酒・酒気帯び共しないように回覧したばかりだ。
それでなくても、建築業界はバブル期に「地上げ」などでヤクザと関わりがあったなどと言われたり、公共事業の入札で談合したといったニュースも多く、世間一般的に評判があまりよろしくない。
会社の評判を落とすような真似はしてくれるなよ、と部長からも、口を酸っぱくして言われているというのに。
いい年をして、社会人としての何かが欠けている。
だから、透子の案件を持ち出したのだ―――そう思った瞬間、ふと、本当にこれだけだろうか?と気が付いた。
もしかしたら、他にもあるかもしれない。
取りあえずレストランの飲食代を支払い、渋る高橋を説き伏せて、代行サービスに電話をする。その間に勝手に店を出た高橋を、舌打ちしながら追いかけた。
「っと、悪い。」
「いえ。」
自走式立体駐車場の料金を入り口の精算機で処理し、急いで振り向いた瞬間、直ぐ背後に居た男にぶつかりかけた。
こちらこそ、と、ニコッという字幕が表示されそうな程、“よく出来た”笑顔で微笑んだ男は、やけに人形めいた整った顔立ちをしている。
女のような顔をしているが、意外にいいガタイをしているのが、薄手のセーターを着ていてもわかった。
こういう男と付き合うのはどんな女だろう?と一瞬思いながら、車路を上りかけたところで、立ち止まっていた高橋に追い付いた。
駐車券を渡したら、今日はもう帰ろう。さすがに営業スマイルも品切れだ。
「高橋さん…」
すみません―――と、言いかけたところで立ち止まった。
高橋の向かいに、黒いスーツ姿の女が立っている。
さらりと顎にかかる黒髪。
抜けるように白い肌と、大きな黒目が印象的な、切れ長の瞳。
「…透子…」
久しぶり、と言った自分の声が遠くで聞こえるような、妙な錯覚を覚えながら、手を上げてみせる。
ちゃんと笑えているだろうか―――口の中がカラカラになったようで、だが、それを知られないよう、こっそりと唾を飲み込んだ。
4年振りに見る透子は、ずいぶん痩せていた。
元々細かった顎が尖って見えるのは、インフルエンザに罹患していたからだろうか。
「シノ?…何で…」
という、やや掠れた声で我に返った。
何でって…言おうとして、高橋の存在に気が付く。
まだ知られる訳にはいかない。
「お前、自分とこの元請けも知らねえのかよ?」
言った後で失敗したと思う。嘘をつくにしてももっと何かあるだろうに。
だが透子は、あー…と曖昧な返事をして、高橋の顔を伺っている。それがやけに気に障った。高橋がやたらと透子を貶めていたのを思い出す。
おそらく、本人―――透子に対しても暴言を吐いているに違いない。そう確信した。
「シノが、現場見てんの?」
「いや、俺は営業だから。」
「営業?!」
信じられない―――顔がそう言っているのを見て笑った。
大学の頃は色んな話をした。
それは真面目な話だったり、バカ話だったり、様々ではあったけれど、酒に弱い透子に付き合って、ファミレスのドリンクバーで何時間も粘った事を思い出す。
それできっと、俺が設計をやると信じて疑わなかったのだろうが、正直、俺には透子ほどの情熱は無かった。ただ、透子と話をするのが楽しかったのだと、今さらながら思う。
しっかり休めていいぜ?と言うと、心底呆れた、という顔をするからまた笑った。何だ、結局変わってねぇじゃん?―――そう思って、いつの間にか、高橋の存在を忘れていた。
透子は俺が建築士に受かった事に気付いていた。
俺と同じく、ネットで見たのだろう。それだけで、何故か心が浮き立つ。
営業なのに、何で建築士を受けられたのか、何て、どうでもいい話だ。資格なんて、取ってしまえばタダの紙切れになるんだから。
それよりもっと、気の利いた話がしたいと思うのに、出てくる会話が「シンジは図面(実技試験)で落ちたってよ」なんて、格好悪いにも程がある。
建築士の試験は、学科と実技があり、学科に受かると実技で落ちても、翌年は学科試験免除で実技から受けられる。
シンジもさすがに来年は頑張るだろうから、アイツの事はほっといていい―――その位の気持ちで話していた所だった。
ガンッッ―――
硬質な音が、駐車場のコンクリート壁に跳ね返る。
直ぐ隣にあった階段室への扉が叩きつけられた音だった。―――高橋によって。
知らず、口角が上がった。
ドアを開けて、上に向かって叫ぶ。
「またメールしときますね!」
まあ、ほぼ問題無く、例の案件はこっちの手に入ったとは思うが。
扉を閉めて向き直ると、透子が物問いたげにこっちを見ていた。この様子では、まだ高橋のしている事に気付いていないのだろう。
全く、あの男―――苦々しい気持ちと同時に、透子に対する暴言を思い出した。くだらない、あんな虫ケラみたいなヤツに、透子を貶す資格なんてあるか?
ある訳がねえよ。
口許が歪んだ事に、自分でも気が付いた。
「車なんだけど、乗っていくか?」
駐車料金出してくれれば、家の方に寄ってってやるよ、という台詞に呆れ返る。
ばかじゃねぇの、こいつ―――
高速道路で飲酒運転のトラックが自家用車に突っ込んだ痛ましい事故は、まだ記憶に新しい。
世論は飲酒運転の罰則を強化する方向に動いてるというのに、どうかしているとしか思えない。
現にウチの会社では、社内全体に、飲酒・酒気帯び共しないように回覧したばかりだ。
それでなくても、建築業界はバブル期に「地上げ」などでヤクザと関わりがあったなどと言われたり、公共事業の入札で談合したといったニュースも多く、世間一般的に評判があまりよろしくない。
会社の評判を落とすような真似はしてくれるなよ、と部長からも、口を酸っぱくして言われているというのに。
いい年をして、社会人としての何かが欠けている。
だから、透子の案件を持ち出したのだ―――そう思った瞬間、ふと、本当にこれだけだろうか?と気が付いた。
もしかしたら、他にもあるかもしれない。
取りあえずレストランの飲食代を支払い、渋る高橋を説き伏せて、代行サービスに電話をする。その間に勝手に店を出た高橋を、舌打ちしながら追いかけた。
「っと、悪い。」
「いえ。」
自走式立体駐車場の料金を入り口の精算機で処理し、急いで振り向いた瞬間、直ぐ背後に居た男にぶつかりかけた。
こちらこそ、と、ニコッという字幕が表示されそうな程、“よく出来た”笑顔で微笑んだ男は、やけに人形めいた整った顔立ちをしている。
女のような顔をしているが、意外にいいガタイをしているのが、薄手のセーターを着ていてもわかった。
こういう男と付き合うのはどんな女だろう?と一瞬思いながら、車路を上りかけたところで、立ち止まっていた高橋に追い付いた。
駐車券を渡したら、今日はもう帰ろう。さすがに営業スマイルも品切れだ。
「高橋さん…」
すみません―――と、言いかけたところで立ち止まった。
高橋の向かいに、黒いスーツ姿の女が立っている。
さらりと顎にかかる黒髪。
抜けるように白い肌と、大きな黒目が印象的な、切れ長の瞳。
「…透子…」
久しぶり、と言った自分の声が遠くで聞こえるような、妙な錯覚を覚えながら、手を上げてみせる。
ちゃんと笑えているだろうか―――口の中がカラカラになったようで、だが、それを知られないよう、こっそりと唾を飲み込んだ。
4年振りに見る透子は、ずいぶん痩せていた。
元々細かった顎が尖って見えるのは、インフルエンザに罹患していたからだろうか。
「シノ?…何で…」
という、やや掠れた声で我に返った。
何でって…言おうとして、高橋の存在に気が付く。
まだ知られる訳にはいかない。
「お前、自分とこの元請けも知らねえのかよ?」
言った後で失敗したと思う。嘘をつくにしてももっと何かあるだろうに。
だが透子は、あー…と曖昧な返事をして、高橋の顔を伺っている。それがやけに気に障った。高橋がやたらと透子を貶めていたのを思い出す。
おそらく、本人―――透子に対しても暴言を吐いているに違いない。そう確信した。
「シノが、現場見てんの?」
「いや、俺は営業だから。」
「営業?!」
信じられない―――顔がそう言っているのを見て笑った。
大学の頃は色んな話をした。
それは真面目な話だったり、バカ話だったり、様々ではあったけれど、酒に弱い透子に付き合って、ファミレスのドリンクバーで何時間も粘った事を思い出す。
それできっと、俺が設計をやると信じて疑わなかったのだろうが、正直、俺には透子ほどの情熱は無かった。ただ、透子と話をするのが楽しかったのだと、今さらながら思う。
しっかり休めていいぜ?と言うと、心底呆れた、という顔をするからまた笑った。何だ、結局変わってねぇじゃん?―――そう思って、いつの間にか、高橋の存在を忘れていた。
透子は俺が建築士に受かった事に気付いていた。
俺と同じく、ネットで見たのだろう。それだけで、何故か心が浮き立つ。
営業なのに、何で建築士を受けられたのか、何て、どうでもいい話だ。資格なんて、取ってしまえばタダの紙切れになるんだから。
それよりもっと、気の利いた話がしたいと思うのに、出てくる会話が「シンジは図面(実技試験)で落ちたってよ」なんて、格好悪いにも程がある。
建築士の試験は、学科と実技があり、学科に受かると実技で落ちても、翌年は学科試験免除で実技から受けられる。
シンジもさすがに来年は頑張るだろうから、アイツの事はほっといていい―――その位の気持ちで話していた所だった。
ガンッッ―――
硬質な音が、駐車場のコンクリート壁に跳ね返る。
直ぐ隣にあった階段室への扉が叩きつけられた音だった。―――高橋によって。
知らず、口角が上がった。
ドアを開けて、上に向かって叫ぶ。
「またメールしときますね!」
まあ、ほぼ問題無く、例の案件はこっちの手に入ったとは思うが。
扉を閉めて向き直ると、透子が物問いたげにこっちを見ていた。この様子では、まだ高橋のしている事に気付いていないのだろう。
全く、あの男―――苦々しい気持ちと同時に、透子に対する暴言を思い出した。くだらない、あんな虫ケラみたいなヤツに、透子を貶す資格なんてあるか?
ある訳がねえよ。
口許が歪んだ事に、自分でも気が付いた。