キャンディータフト



「ひよ、こっち」


 校舎へと向かっていたはずの大ちゃんは、突然入り口とは別の方へと向きを変えると私に手招きをした。
 

(どうしたのかな? )


 そう思いながらも、黙って後を追うことにした私。校舎に沿って歩く大ちゃんの背中を見つめながら歩いていると、突然目の前の大ちゃんが声を上げた。


「良かった! もう咲いてる! ほら、ひよ見てごらん」


 ピタリと立ち止まった大ちゃんの側まで近寄ると、その視線を辿って前方を見てみる。
 するとそこには、白やピンクや紫の花弁(はなびら)を付けた、とても綺麗な花が花壇に咲いていた。


「わぁ……! 綺麗!」


 キラキラと瞳を輝かせる私を見て、クスリと小さな笑い声を漏らした大ちゃん。そのまま花壇の前に腰を下ろすと、私に向けておもむろに口を開く。


「……この花、覚えてる?」

「うん。キャンディータフト」


 優しく微笑む大ちゃんに向けて、私は笑顔でそう答えた。


 忘れもしない──大ちゃんが初めて私にくれた花だから。 


 枯れない花が欲しいと言った私に、大ちゃんはキャンディータフトを押し花にすると栞にしてくれた。
 あれは確か、小学四年生の頃。少し(いびつ)な形をしたその栞は、不器用な大ちゃんが私の為に一生懸命作ってくれたのだと、私は子供ながらに凄く嬉しく思ったのを覚えている。

 今でも大切に持っているだなんて、恥ずかしくて言えないけど……私の宝物。
 大ちゃんも覚えててくれたのだと、私は心が温かくなるのを感じた。


(大ちゃんはこの花の花言葉、知ってるのかな……)


 当時、栞を貰った私は嬉しくてキャンディータフトをたくさん本で調べた。
 そんな昔の自分の姿を思い出して、フフッと小さく微笑む。


「どうかした?」


 花を見て小さく笑った私を見て、大ちゃんは不思議そうに首を傾げた。


「ううん、何でもない。……綺麗だね」

「うん。ひよと一緒に見れて良かった」


 笑顔で答える私にとても優しく微笑み返してくれた大ちゃんは、そう言うと目の前の花へと視線を戻した。


「……暗くなる前に校舎見に行こうか」


 そう言って立ち上がった大ちゃんは、私が立ち上がるのを待ってから再び校舎へと向かって歩き始める。
 そのまま校舎へと入った私達は、古びた廊下を横並びで歩いてゆく。こうして大ちゃんと並んで歩く事も最後になるのかと思うと、私は(きし)む廊下をゆっくりと一歩ずつ確かめるようにして歩いた。

 暫く黙ったまま歩いていると、少し先の方で板の捲れ上がった廊下が目につく。


「あっ……!」


 それを見つけた私は、嬉しくなって小走りに駆け寄った。


「大ちゃんっ! 見て見て!」


 こちらへ向かってゆっくりと歩いてくる大ちゃん。
 そんな大ちゃんに向けて手招きをすると、私は自分の足元にある板を指差した。


「ほらっ! 大ちゃん、よくここで(つまず)いてたよね」


 そう言って笑って見せれば、大ちゃんは困ったように微笑んだ。


「よく覚えてるね」

「忘れないよ、大ちゃんの事は」


 妙な言い回しをしてしまった事に気付き、ハッと我に返った私は慌てて顔を俯かせた。

 
(気付かれ、ちゃったかな……?)


 今の言い方では、まるで遠回しに好きだと言っているようにも聞こえる。私はチラリと目線を上げると、大ちゃんの様子を(うかが)った。
 すると、悲しそうな顔をした大ちゃんと視線が絡まり、私の胸は途端に騒つき始めた。


「大……、ちゃん?」


 小さく震える声で名前を呼ぶと、大ちゃんはすぐに優しい笑顔を見せると口を開いた。


「俺も、ひよの事は絶対に忘れないよ」


 その言葉を聞いて、つい先程感じていた不安は一瞬で吹き飛び、私の顔は一気に熱が集中した。
 

(それって……、どういう意味?)


 目の前で優しく微笑んでいる大ちゃんを見ても、その表情からは何も読み取れない。何気なく言った言葉なのだろうか? それでも、大ちゃんの言葉でこんなにも動揺してしまう自分がいる。
 高校生になった大ちゃんは、その容姿だけではなく中身まで大人になったのか、その余裕ある態度に私だけが翻弄されているのかと思うと、なんだか凄く恥ずかしい。

 エヘヘと笑って誤魔化した私は、赤くなった顔を隠すようにしてクルリと背を向けると、再び廊下を歩き始める。
 すぐ後ろから聞こえてくる足音に、ちゃんと大ちゃんも付いて来てくれていることを確認した私は、火照った顔を冷ますようにしてこっそりと小さく手で扇いだ。



 ────!



 突然聴こえて来たピアノの音に、私はクルリと後ろを振り返ると口を開いた。


「瞳ちゃんかな?」

「きっとそうだね。行ってみる?」


 私は笑顔で頷くと、大ちゃんに付いて音楽室へと向かった。

 小さい頃からピアノの得意だった瞳ちゃんは、よく私のリクエストに応えてピアノを弾いてくれていた。
 一度も島を出た事のなかった私には、片道一時間半もかけてピアノを習いに行く瞳ちゃんは憧れでもあった。

 何度もせがむ私に、嫌な顔一つ見せずにピアノを弾いてくれていた瞳ちゃん。そんな瞳ちゃんも、高校生になるとこの島を離れてしまった。
 久しく聴く事のできなかったピアノの音に、私は心を躍らせた。

 音楽室の前に着くと、開かれたままの扉から中を覗いてみる。
 ──その光景に、私は思わず目を奪われてしまった。

 決して立派なピアノとはいえないのに、瞳ちゃんが弾くとこうも華やいで見えるものなのか。
 暫く立ち尽くして眺めていると、こちらに気付いた瞳ちゃんがピタリと手を止めた。


「……ごめん。(うるさ)かった?」


 申し訳なさそうな顔をしながら笑顔を向ける瞳ちゃん。


「こっちこそ、邪魔してごめん」

「煩くなんてないよ! もっと聞きたいな」


 私達が口々にそう答えると、瞳ちゃんはフワリと優しく微笑んだ。


「何かリクエストある? 少し調律が狂ってはいるけど……まぁ、問題なく弾けるから」


 その言葉にパッと笑顔を咲かせた私は、勢いよく口を開いた。


「ショパンの「「ノクターン」」


 被ったその声に隣を見てみれば、そんな私と視線を合わせた大ちゃんがクスリと微笑む。
 昔から、私が必ずリクエストしていた曲。この曲を聴くのはどれぐらいぶりだろうか──。


「……日和の好きな曲だね」


 瞳ちゃんはそう言って優しく微笑むと、鍵盤に手を置きピアノを弾き始める。
 その姿を確認した私達は、近くにあった椅子に腰を下ろすと、瞳ちゃんの奏でるピアノの音に静かに耳を傾けた。

 その音色はとても優しく穏やかで、気付けば私の瞳からは涙が流れていた。久しぶりに聴く瞳ちゃんが奏でるピアノの音に、嬉しく思う気持ちと同時に何故か悲しくもなったのだ。
 高校生になって、皆んなバラバラになってしまったから──。懐かしい昔に思いを()せ、きっと寂しくなってしまったのだろう。

 隣で静かに涙を拭う私を見て、少し寂しそうな笑顔を見せる大ちゃん。そんな大ちゃんに心配をかけさせたくなかった私は、涙を拭い終えるとニッコリと笑った。
 それに安堵したのか、優しく微笑んだ大ちゃんは瞳ちゃんへと視線を戻すと、そのまま演奏が終わるまで私を見ることはなかった。



 ────パチパチパチパチ



「瞳ちゃん、ありがとう!」

「ありがとう。久しぶりに聴けて良かったよ」


 拍手をしながら感謝の気持ちを伝えると、瞳ちゃんは「どういたしまして」と言って優しく微笑む。


「じゃあ、もう行くね」

「もう一曲聴きたいなぁ」

「暗くなる前に他も見なきゃ」


 困った様に微笑む大ちゃんに諭されると、私は後ろ髪引かれる思いで椅子から立ち上がった。


「瞳ちゃん、また今度聴かせてね」

「じゃあ、また後で」


 そう言って私達が手を振ると、少し不思議そうな顔をした瞳ちゃんは小さく手を振り返してくれた。


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