大切なものを選ぶこと
噂の兄貴はもっとヤバい
-弘翔side-
「遅かった…か、」
東京郊外にある人気のない場所に立つコンクリート造りの殺伐とした建物。
「ひっ弘さんっ!!」
見張りとして入口に立っていた若い組員が情けない声を上げる。
よく見れば膝は震えていて、顔もおかしなくらい青白い。
「兄貴は?」
「ッッ、れ…蓮さんならつい先ほど帰られました…」
やはり、一足遅かったか。
無意識に舌打ちが落ちた。
この組員の死にそうな、酷く怯えた表情を見れば、今しがたここであった惨状は容易に想像ができる。
チラリと純を伺えば、全てを察しているらしく、眉間に皺を深く刻んで黙り込んでいる。
帰国した兄貴がここに来ることなんて、今までの俺だったらすぐに考えるのに。
抜かったな。
美紅とのことがあって浮かれていたらしい。
「ご苦労だった。もう帰っていいぞ。ゆっくり休め」
「はっ、はい!」
見ているこっちが可哀想になるくらい震えている組員には申し訳ないが構っている暇はない。
あぁ、そうだ…
「わかっているとは思うが…今日ここで見たことは他言無用だ。他の組員にも何も言うな」
もし他言すれば、俺が君を殺さなければいけなくなる。
声になっていない声で返事をした組員は逃げるようにこの場を去っていった。
やはり若い組員にここの見張りはきつかったか。申し訳ないことをしたな。
「弘さん」
俺の思考を遮るように純が声を掛けてきた。
小さく頷いて開錠された建物の中に足を踏み入れる。
埃臭くて殺風景、嫌な雰囲気しかしないここは何度来ても慣れない。
目的の部屋に近づくにつれて血生臭い匂いが強くなってきているのは気のせいではないだろう。
目的の部屋に近づくにつれて人のものとは思えないような呻き声が大きくなっているのも気のせいではないだろう。
極道で在ることに誇りを持っていようが、人に恨まれることに慣れていようが、この部屋の雰囲気だけには目を逸らしたくなる。
そして、その全てを、敬愛する男に背負わせているという事実が胸を抉る。
「殺してくれ!殺してくれ!殺してくれ!俺を殺せぇぇぇぇ!」
目的の部屋…諮問部屋の扉を開けると血だらけになってうずくまっていた男が声を上げた。
血はかなり出ているが、見た目ほど傷ついているわけでもない。生死に関わるようなことはないだろう。
半殺しってところか。
『死より辛い精神的苦痛を』
この部屋の総責任者の男が定めた方針はやはり健在。
小さく息を吐いて、純に顔を向ければ、
「先の抗争で、弘さんを撃った奴です」
と淡々とした純の声が室内に響いた。
あぁそうか、この部屋、諮問部屋…通称、拷問部屋に入れられるには十分な理由だ。
そして、この部屋の総責任者である兄貴の逆鱗に触れるにも…十分な理由だ。