大切なものを選ぶこと
「こいつは一応夏樹の所に運んでおいてくれ。処分はお前に任せる」
「わかりやした」
声にはならない声でただひたすらに『殺してくれ』と叫ぶ男を一瞥する。
憐れ。もう二度と普通の精神状態で生活を送ることはないだろう。
それが秋庭の若頭に銃を向けた代償であり、秋庭で二番目の地位に君臨する男の逆鱗に触れた結果だ。
にしても…毎度、毎度、やりすぎだろう。
俺の乾いた失笑が殺風景な部屋に響くのと同時に、携帯が着信を告げた。
着信相手は…
想像通りの人物。
『兄貴…おかえり』
『ただいま、弘翔』
いつもと同じ、兄貴が帰国すると必ず最初になされる会話。
俺が敬愛してやまない男の声は相変わらず安心する。
目の前の惨劇をこの男が数十分前に引き起こしたなどと、誰が思うだろうか。
それくらい、兄貴の声は“いつも通り”だ。
『今、諮問部屋にいるんだが…やりすぎだろう…』
『そうでしょうか?私の世界で一番大切な男に銃口を向け、あろうことか被弾させた下衆など殺しても構わなかったんですがね』
『心配かけて悪かったよ。帰国早々、手間かけた』
『私の為に下衆を諮問部屋送りにしてくれたことは感謝していますよ。私が直接、お灸を据えて差し上げることができましたから』
精神を崩壊させて、身体は半殺しにするのが果たして“お灸を据える”なんて言葉で片付くのだろうか。
俺を撃った奴の顔が割れ、諮問部屋送りになった後、この男の処分について盛大に揉めた。
このまま諮問部屋に監禁して兄貴に引き渡すか
兄貴には事の一切を隠して、この男を秘密裏に処理するか
兄貴に引き渡せばこの男は確実に壊れることになる。人として。
それを懸念して、兄貴には隠し通そうかとも思ったが…
秋庭の情報網の全てを掌握し、事実上秋庭の全てを取り仕切っている兄貴に隠せるわけもない。
そう結論付けて、諮問部屋に監禁していた。
俺に関わる事なので、兄貴がぶち切れる事は予想していたが、流石に帰国したその足でここに来るとは思っていなかった。
『男の処分は純に任せた』
『そうですか。興味ないのでお任せしますよ』
『兄貴…、いつ来る?』
『近いうちに。弘翔の愛する女性にも挨拶しないとですからね』
『なっ!なんで兄貴が知ってんだよ!?』
二か月海外旅行していて、今日帰国したはずの男が…。
俺と美紅が付き合ったのは兄貴が海外に行っている間だ。
それに、旅行中の兄貴は組の情報は全てシャットアウトしている。
いくら全ての情報を網羅している兄貴でもこの短時間で俺と美紅のことを知るのは無理だろう…
『私としたことが、今しがた少々やらかしてしまいましてね』
『まさか…』
『そのまさかです。つい、いつもの癖でね。書斎にも少し用がありましたので』
『マジか…』
『あぁ、弘翔。これもいつもの癖でYシャツ借りてしまいました』
『それは別にいいよ』
『早く帰って説明して差し上げた方が良いですよ。おそらく、私のことを不法侵入者の類と勘違いしていらっしゃるようでしたから』
心底楽しそうに笑う兄貴に短く返事をして電話を切った。
俺以外の人間には何があろうと敬語、俺と二人きりの時だけ敬語が崩れる兄貴が、俺との電話で敬語…か。
おそらくまだ興奮が収まっていなかったのだろう。
大事な男の手を血で染めさせた罪悪感が襲う。
とりあえず…今は一秒でも早く帰らなければ…。