冷酷王の深愛~かりそめ王妃は甘く囚われて~
『ごめんな、ミリィ。父さんたちがどうしてもって言うから……本当に、ごめん』

 今でも、別れるときのジェイドの言葉と、申し訳なさそうな顔が浮かんでくる。親の言葉を言い訳にはしていたが、ミルザは、ジェイドがその娘に惚れ込んでしまったことを知っていた。
 婚約破棄を言い渡されても、ミルザの両親はすでに亡くなっていて抗議する術もなかったし、心が離れてしまった彼にもうなにを言っても無駄なこともわかっていた。だからミルザは、黙ってその別れを受け入れた。破談を聞いて怒り狂ったのは、サーザのほうだ。

 もう過ぎたことだ、とミルザは気を取りなおして顔を上げる。
 廊下の一番奥の扉が、ミルザの目指す部屋だった。気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をして、そっと扉を叩いた。

「ゲルダ。ミルザよ。いる?」
 短く返答があった。重い扉を開けて中に入ると、そこにはしわくちゃの小さい老婆がひとり、座っていた。隣にミルザが座ると、編み物をしていた手を止めて老婆は顔を上げる。

「花祭りを見に来たのかい?」
「サーザと一緒に、花を卸しにきたのよ。それ敷物? ずいぶんと大きなものね」
「ベッドカバーじゃ。はてさて、これができあがるまで生きていられりゃいいがの」
「ゲルダ」
 自虐的な言葉に、ミルザは柳眉をひそめる。ゲルダは、わざとらしく大きなため息をついた。
「わしも年を取った。せいぜいあと四、五十年しか生きられまい」
「……ゲルダって、本当はいくつなの?」
「さてな。七十あたりから数えるのをやめちまったよ」
 ミルザは、しわくちゃのその顔を見ながらくすくすと笑う。

「きっとゲルダなら、あと百年は生きると思うわよ?」
「長く生きればいいってもんじゃないさ。あたしには、役目があるからね。それを誰かに渡すまでは死ねないよ」
 その言葉を聞いて、ミルザは表情をあらため、ささやくように硬い声を落とす。

「今回はサーザが一緒だから一泊で帰る予定だけど、私の役目は、ある?」
「ない」
 今までの声とはまったく違う、厳しい声でゲルダは短く言った。それを聞くと、ほっとしたようにまた表情を緩めて、ミルザは立ち上がる。

「サーザが街を見ているの。無駄遣いをしないうちに、つかまえなくちゃ」
 再び編み物に視線を落として、ゲルダが独り言のように言った。

「気をつけなよ。得体の知れない闇が、少しずつ蔓延し始めておる。それでも必要なときには来てもらわねばならんが……嫌な、感じじゃ」
「……ありがとう。気をつけるわ」
 わずかに微笑むと、ミルザは重い扉をくぐった。

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