クールな社長の溺甘プロポーズ
私はトイレで気持ちを落ち着けるように深呼吸をして、頬を冷ますと部屋へと戻った。
普通の顔、普通の顔……。
そう言い聞かせながら靴を脱ぐと、先ほど慌てて出て行ったせいで戸が少し開いたままになっていることに気づく。
そこから、ふたりの声が聞こえてきた。
「それにしても、悪いな。うちの娘はどうも可愛げがないだろう」
「いえ。突っぱねられてばかりですが可愛いですよ」
って……私のこと、だよね。
『可愛い』、なんて親の前で言ったりして。本当恥ずかしい人だ。
照れる反面嬉しくもあり、つい聞き耳をたててしまう。
「それに言ったはずです。俺は、結婚することで会社と澤口さんのためになるなら、どんな相手とでも結婚する、って」
ところが、彼から発せられたひと言に浮かれる気持ちは一瞬で吹き飛ばされてしまった。
『結婚することで会社と澤口さんのためになるなら』
大倉さんのその言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。
会社のため。お父さんのため。
何度も何度も、胸の中で繰り返し、ようやく思い知る。
彼が言った『結婚しよう』と言う言葉に、緊張も勇気も含まれてなどいなかったこと。
だって、そこに彼自身の気持ちは込められていないから。
『好きなのはお前じゃないだろ』
先日の米田さんの言葉が今更しっかり身に染みて、浮かれていた気持ちが一気に冷静になっていく。
わかっていたはずなのに、勘違いしてはいけないと、何度も言い聞かせていたのに。
それでも、期待していた。
そんな自分が恥ずかしい。
情けない。惨めで、かっこわるくて、悲しい。
……足が動かない。
喉が締まったように、呼吸ひとつすらもうまくできなくなる。
全てが、胸の奥でガラガラと音を立てて崩れていく。