婚活女子とイケメン男子の化学反応
零士の秘書になって1週間。
結局、英士の情報は何も掴めぬままだ。
一度だけ、零士が、
『本当は兄貴のことが忘れられなくて戻ってきたんじゃないのか?』
と、鋭く訊いてきたのだけど、素直になれずにはぐらかしてしまった。
現実を知るのが怖いという気持ちがあって、いざとなるとどうしても尻込みしてしまうのだ。
そんな中、ショッキングな出来事が起こる。
“いつも君もことを見てるよ。君も早く僕のことを好きになってよ。じゃないと僕は、何をするか分からないよ”
そんな手紙が実家のポストに投げ込まれていたのだ。
さすがに恐ろしくなって、零士のマンションへと駆け込んだのだけど、彼の部屋には先客がいた。
「鈴乃が来てるんだよ」
零士が気まずそうに呟いた。
鈴乃さんというのは、零士が熱心にデートの指導までしてあげているという、うちの会員さんだ。
講習とはいえ手まで繋いでおかしいとは思っていたけれど、現場を押さえられて観念したのか零士は白状した。
「俺たち付き合ってるんだよ。もうすぐ結婚だってするし」
零士の口から『結婚』という言葉が飛び出して、私は更に驚いた。
昔から零士はモテるけど、どこか恋愛には冷めていたし、本人も『俺は結婚には向いていない』と言っていたからだ。
恐らく、昔の彼女の裏切りや理由も告げずに離れていった元カノ達への不信感、そして去る者追わずで放置してしまう自分自身の冷たさを、彼なりに自覚したせいなのだと思うけれど。
とにかく、そんな零士が意図も簡単に『結婚』というフレーズを口にしたことがとても信じられなかった。
「ねえ、鈴乃さん。ホントにいいの?」
私の言葉に、鈴乃さんはキョトンと首を傾げた。
「えっと………何がですか?」
「零士との結婚よ!」とは言ったものの、零士の冷めた恋愛観を説明する訳にもいかなくて、
「だって、あの人コーヒーくらいしか淹れられないよ? 家事なんて何にも出来ないし、不潔だし、足だって臭いし」
と、ついそんな悪口を言ってしまった私。
キッチンからは恐ろしいほどの鋭い視線が向けられた。
「聞こえてるぞ、麻里奈? おまえのコーヒー塩入れてやろうか」
本気で怒る零士に冗談よと謝りながら、ふと鈴乃さんに視線を戻すと、彼女は私の震える手元を見つめていた。
そうだった。
一気に現実へと引き戻される。
『で? 一体何があったんだ?』
零士にも促され、私は二人に手紙のことを打ち明けた。
犯人はきっと会員の中の誰かだろうという結論になり、しばらく様子を見ることになったのだけど、両親も留守にしているあの家に帰るのはさすがにちょっと不安だった。
もう一人、葵という大学の友人がいたのだけど、彼は実家暮らしだ。
結局、同棲を始めた二人には申し訳なかったのだけど、犯人の目星がつくまでの間、零士のマンションに泊めさせてもらうことになった。
『ふーん。そんなことがあったのか。何か俺にも協力できることある?』
電話の相手は零士の親友でもある葵だ。
葵は何かと私のことを気にかけてくれて、よく電話をくれる。
『ううん、大丈夫よ。通勤はしばらく零士の車だし、実家のポストや玄関にも防犯カメラをつけてもらったから』
『そうか。じゃあ、気をつけてな。何かあったらすぐに連絡して』
『分かったわ。ありがとう』
葵との電話を終え、ふと隣のデスクを見ると、零士がおっかない顔でこちらを睨んでいた。
「えっ、なに?」
お昼休みだし、小さい声で話せば問題ないと思ったのだけど、事務室で私用の電話はマズかったのだろうか。
色々と考えていた私に彼はこう言った。
「おまえ、何で喋っちゃうの? 俺と鈴乃のことは葵にはバラすなって言っておいたよな」
あ、そっか。
すっかり忘れていた。
「ご、ごめん。色々聞かれているうちについポロッとね。まあ、でも、いいじゃない。どうせバレるのなんて時間の問題なんだから」
ハハッと笑って誤魔化すと、零士はため息をついた
「ふざけんなよ。とにかく、もうこれ以上、あいつに余計なこと喋んなよ。分かったな?」
零士はムッとしながら席を立ち、そのまま事務室から出て行ってしまった。
すると、今のやり取りを見ていたのか、早速やって来た人物がいた。
「あら、もう喧嘩ですかあ~? このままフラれちゃうんじゃないですかあ~?」
初日に私を追いかけてきたあの若い女性スタッフだった。
彼女は橋川さんと言って、零士が絡むといつもこうなるらしい。
経理の子が急に辞めたのも彼女が関係していると、他のスタッフが教えてくれた。
「あら~ご心配なく~。零士って凄くヤキモチ焼きだから、私が他の男と電話してるとすぐに怒るのよね。一緒に住んでるのに束縛も激しくって」
なんて、こんなことを言ってしまう私も、相当性格が悪いとは思うけれど。
「何よ! どうせあなたなんて、すぐに捨てられるんだから!そんなこと言ってられるのも今の内よ!」
彼女は目に涙を溜めて飛び出して行った。
ちょっとやり過ぎたかなとは思ったけれど、ああいう厄介なタイプにはこれくらいしないと後で面倒なことになる。
このまま放置すれば、きっと鈴乃さんが苦労するに違いないのだ。
零士も葵のことなんかより、こういうところに気を配ればいいのよ。
と、心の中で文句を言いながら、私は午後の仕事に取りかかったのだった。