俺様社長に甘く奪われました

 男はそう言いながら、おもむろに彼女の頬にハンカチをあてた。
 雨が降りしきる中、ゆっくりと目線を上げていき、莉々子はそこでハッと息を飲む。それは彼女の見知った顔だったのだ。
 雨に濡れてはらりと落ちた艶やかな前髪の間から、意思の強そうな切れ長の瞳を覗かせて彼女を見つめる。
 彼は莉々子に気づいた様子がない。ただそれも無理はないだろう。彼女が一方的に知っているだけだから。


「こうしていても濡れるだけだ。行こう」
「あ、あのっ……」


 彼は莉々子の肩を抱き、素早くタクシーを止めたかと思えば、そこに彼女を押し込めた。拒む隙もない。拒絶する気力すら残っていなかったと言ったほうが正しいかもしれない。さっきの店に、心ごと置き去りにしてきたような感覚だった。行き先がわからずに不安に思うことも、このあとの自分がどうなるのかも、考える余力がない。感じる心と考える頭。両方が欠落した状態で、ただタクシーの揺れに身を任せた。


 数十分後、連れられてきたのは彼のマンションだった。彼が莉々子をソファへと座らせ、タオルを手渡す。


「……ありがとうございます」


 お礼を言うことだけはかろうじてできた。

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