夏木立
手紙
第1話 手紙
この不思議な物語は1通の手紙から始まった。
俺は予備校生の安濃亮。地方の高校を卒業してこの春に東京に出てきた。
大学受験リベンジのために上京して来た訳だが、言い訳ではなく受験に失敗したのは学力不足ではない。
受験前日の夜に安宿に泊まって、作ってきた握り飯の夕食後から体調がおかしくなり始めた。夜明けぐらいから急な腹痛で受験会場に行くことできなかった。
結局、食中毒でもなく昼前には腹痛も収まり……皆からは受験のストレスだと、即ちチキンだと言われてしまった訳だ。これからの人生で引きずってゆく事になる、最低な笑い話のようなことが起こってしまったのだ。
その様な事で、この春から安いアパートを孤児院の院長名義で借り、家賃や日々の暮らしをアルバイトで賄う東京生活が始まって初めての夏になっていた。
「あきら、そっちの商品を出しておけ」と店長がレジカウンターの中で接客しながら指示をしてきた。
「はい、棚入れしておきます。こっちの商品も足らないので出しておきますね」
「お! よろしく」「そうだ、あきら、今日悪いが夜勤前まで頼めないか?」
「わかりました、夜勤の者が来るまで入っておきます」少し稼げると明るく返事をした。
俺はアパートの近くにあるコンビニエンス・ストアーに春からアルバイトとして働き始めました。
予備校の授業の無いときは、ほとんどバイトをしている。予備校、バイト先、アパートの三箇所が動線行動の総てと言ってもよいぐらいの狭い世界で生活していた。
「あきら、お盆は帰省するのか?」と店長が聞いてきた。
「どうするか、特に決めてはいませんが」報告なら合格してからで十分だ。帰省なんて気分でもないと思った。
「そうか、お盆と正月ぐらいは里に帰らないと、ご両親も心配するだろう」
「……そうですね、考えておきます」俺はそれ以上の話にならないように店内の商品を点検するかのように会話の場を離れた。
俺には家庭の事情を話す必要を感じていなかった。事実を話して変に同情されたくもない。何よりも両親という記憶認識が無かった、自我が目覚めたころには自分の立場が不幸だと考えたことも無かった。これが俺の普通の感覚だった。
孤児院は、そこにいるときは家だったと思っていた、今はアパートが自分の家だと思っている。俺にとっての家はおそらく安心してまどろめる所が家なのだと思う、でも微睡むと言う本当の気持ちはこの時はまだ知らなかった。
俺には両親の記憶は無かった、また記憶に繋がる物も持っていなかった。
唯一俺の物はお守り袋だった。中には 命名 安濃 亮 と書かれた紙と変な形をした物が入っていた。
孤児院に来たときに所持していたと聞かされていたのは、服とお守り袋だけであった。服はすでに無くなっていた。
そういった状況であった俺にとって、両親が居ない事の寂しさや悲しみは感じることができなかった。
「店長、上がります、お疲れです」
「お、あきら、ありがとう、お疲れ」
コンビニを後にした。夏の夜は、すこし風も涼しさを感じられ、昼間の騒がしさも無くなって、アパートまでの道のりは、気持ちのよいものであった。
アパートに着くと、郵便受けにDMや案内のチラシなどが受け口から溢れんばかりになっていた。
「なんじゃこれは」と思わず声に出してしまった。
俺には郵便を受け取る相手も特にいなかった。東京に出てから2度ばかり孤児院の先生からの手紙を受け取っただけだった。
郵便受けから貯まった紙の塊を抜き出して部屋に入った。紙の塊をテーブルに置くとコンビニから貰ってきた時間切れの弁当を開いた。
時間切れの場合は処分することになってはいたが、店長から食事の足しにはなるだろうからと時々もらっていた。
弁当を食べながら一枚一枚確認しながら分けていった。
ダイレクトメールが多いな、マンションか……高いものだなと金額のゼロを数えた。
健康食品か……今は必要でもないな、腹の減らない食品なら買うかな? と見ていた。
そんなどうでも良いことを思いながら一枚ずつ開いていた。弁当も食べ終えたころにシンプルな封書がでてきた。
DMやチラシの派手な見出しばかり見ていたので、白い封筒に名前が手書きされているのは新鮮さを感じた。
手書き風とかだったりしたら笑うけどと思いながら匂いを嗅いでみるとインクの香りがした。封書の裏を見たが、差出人が書かれていなかった。
「手書きだよな?」表に返し宛先と名前を確認した。
封筒を蛍光灯の光にかざしてみた。封筒の中に紙が入っているのが透けて見えている。
(なんなのだ? 誰からの手紙なのだ)
俺には院の先生以外から手紙を貰う心当たりがなかった。文字を見ても心当たりはなかった。
何処からなのか? 消印を確認すると緒城町しょうじょうまちになっていた。聞いたこともない町だった。
封を切って手紙を取り出した、中には手書きされた便箋と何かのチケットが入っていた。
(なんだ……このチケットは? 割引券とかかな?)
(バス? 夜行バス?)
そのチケットは、どうやら夜行バスの予約切符のようであった。
便箋を開いて読み始めた。
そこには、俺に宛てた内容になっていた。瀟洒しょうしゃな女性が書いたような文字に思えた、要約すると、夜行バスで来てくれないか、という内容であった。
手紙にも、差出人の名前は見当たらなかった。
ただ、招待状であるようだが、招待日が書かれていなかった。
意味不明だな? 招待するなら、日にちと時間は必須だろ? と思った。
バスの時間は書いてあるな。あれ? この夜行バスの発車場所が書かれてない?
「出発時間が、25時? なんだこりゃ? 誰かの悪戯いたずらか?」独り言にしては声が大きくなっていた。
封筒を見直した。
切手に金額がない? 消印にも日付がない? 手紙ってこんなのだったかな?
あまり手紙など受け取ることもなかったので、大きな疑問も感じはしなかったが、院の先生から送られてきた手紙と比較してみた。
先生からの手紙には金額は入っているし、消印にも日付がある。これ切手だよな? ミシン目もあるし、貼り付けてある、DMは別納と印刷されているからそういった物ではなさそうだと思った。
調べれば調べるほど、奇妙な封書であった。
こんなに手の込んだ手紙を作って、ふざける奴など知り合いには居ない。
他のDMやチラシと共に捨てようかと思ったが、何故か気になるので残しておくことにした。
この不思議な物語は1通の手紙から始まった。
俺は予備校生の安濃亮。地方の高校を卒業してこの春に東京に出てきた。
大学受験リベンジのために上京して来た訳だが、言い訳ではなく受験に失敗したのは学力不足ではない。
受験前日の夜に安宿に泊まって、作ってきた握り飯の夕食後から体調がおかしくなり始めた。夜明けぐらいから急な腹痛で受験会場に行くことできなかった。
結局、食中毒でもなく昼前には腹痛も収まり……皆からは受験のストレスだと、即ちチキンだと言われてしまった訳だ。これからの人生で引きずってゆく事になる、最低な笑い話のようなことが起こってしまったのだ。
その様な事で、この春から安いアパートを孤児院の院長名義で借り、家賃や日々の暮らしをアルバイトで賄う東京生活が始まって初めての夏になっていた。
「あきら、そっちの商品を出しておけ」と店長がレジカウンターの中で接客しながら指示をしてきた。
「はい、棚入れしておきます。こっちの商品も足らないので出しておきますね」
「お! よろしく」「そうだ、あきら、今日悪いが夜勤前まで頼めないか?」
「わかりました、夜勤の者が来るまで入っておきます」少し稼げると明るく返事をした。
俺はアパートの近くにあるコンビニエンス・ストアーに春からアルバイトとして働き始めました。
予備校の授業の無いときは、ほとんどバイトをしている。予備校、バイト先、アパートの三箇所が動線行動の総てと言ってもよいぐらいの狭い世界で生活していた。
「あきら、お盆は帰省するのか?」と店長が聞いてきた。
「どうするか、特に決めてはいませんが」報告なら合格してからで十分だ。帰省なんて気分でもないと思った。
「そうか、お盆と正月ぐらいは里に帰らないと、ご両親も心配するだろう」
「……そうですね、考えておきます」俺はそれ以上の話にならないように店内の商品を点検するかのように会話の場を離れた。
俺には家庭の事情を話す必要を感じていなかった。事実を話して変に同情されたくもない。何よりも両親という記憶認識が無かった、自我が目覚めたころには自分の立場が不幸だと考えたことも無かった。これが俺の普通の感覚だった。
孤児院は、そこにいるときは家だったと思っていた、今はアパートが自分の家だと思っている。俺にとっての家はおそらく安心してまどろめる所が家なのだと思う、でも微睡むと言う本当の気持ちはこの時はまだ知らなかった。
俺には両親の記憶は無かった、また記憶に繋がる物も持っていなかった。
唯一俺の物はお守り袋だった。中には 命名 安濃 亮 と書かれた紙と変な形をした物が入っていた。
孤児院に来たときに所持していたと聞かされていたのは、服とお守り袋だけであった。服はすでに無くなっていた。
そういった状況であった俺にとって、両親が居ない事の寂しさや悲しみは感じることができなかった。
「店長、上がります、お疲れです」
「お、あきら、ありがとう、お疲れ」
コンビニを後にした。夏の夜は、すこし風も涼しさを感じられ、昼間の騒がしさも無くなって、アパートまでの道のりは、気持ちのよいものであった。
アパートに着くと、郵便受けにDMや案内のチラシなどが受け口から溢れんばかりになっていた。
「なんじゃこれは」と思わず声に出してしまった。
俺には郵便を受け取る相手も特にいなかった。東京に出てから2度ばかり孤児院の先生からの手紙を受け取っただけだった。
郵便受けから貯まった紙の塊を抜き出して部屋に入った。紙の塊をテーブルに置くとコンビニから貰ってきた時間切れの弁当を開いた。
時間切れの場合は処分することになってはいたが、店長から食事の足しにはなるだろうからと時々もらっていた。
弁当を食べながら一枚一枚確認しながら分けていった。
ダイレクトメールが多いな、マンションか……高いものだなと金額のゼロを数えた。
健康食品か……今は必要でもないな、腹の減らない食品なら買うかな? と見ていた。
そんなどうでも良いことを思いながら一枚ずつ開いていた。弁当も食べ終えたころにシンプルな封書がでてきた。
DMやチラシの派手な見出しばかり見ていたので、白い封筒に名前が手書きされているのは新鮮さを感じた。
手書き風とかだったりしたら笑うけどと思いながら匂いを嗅いでみるとインクの香りがした。封書の裏を見たが、差出人が書かれていなかった。
「手書きだよな?」表に返し宛先と名前を確認した。
封筒を蛍光灯の光にかざしてみた。封筒の中に紙が入っているのが透けて見えている。
(なんなのだ? 誰からの手紙なのだ)
俺には院の先生以外から手紙を貰う心当たりがなかった。文字を見ても心当たりはなかった。
何処からなのか? 消印を確認すると緒城町しょうじょうまちになっていた。聞いたこともない町だった。
封を切って手紙を取り出した、中には手書きされた便箋と何かのチケットが入っていた。
(なんだ……このチケットは? 割引券とかかな?)
(バス? 夜行バス?)
そのチケットは、どうやら夜行バスの予約切符のようであった。
便箋を開いて読み始めた。
そこには、俺に宛てた内容になっていた。瀟洒しょうしゃな女性が書いたような文字に思えた、要約すると、夜行バスで来てくれないか、という内容であった。
手紙にも、差出人の名前は見当たらなかった。
ただ、招待状であるようだが、招待日が書かれていなかった。
意味不明だな? 招待するなら、日にちと時間は必須だろ? と思った。
バスの時間は書いてあるな。あれ? この夜行バスの発車場所が書かれてない?
「出発時間が、25時? なんだこりゃ? 誰かの悪戯いたずらか?」独り言にしては声が大きくなっていた。
封筒を見直した。
切手に金額がない? 消印にも日付がない? 手紙ってこんなのだったかな?
あまり手紙など受け取ることもなかったので、大きな疑問も感じはしなかったが、院の先生から送られてきた手紙と比較してみた。
先生からの手紙には金額は入っているし、消印にも日付がある。これ切手だよな? ミシン目もあるし、貼り付けてある、DMは別納と印刷されているからそういった物ではなさそうだと思った。
調べれば調べるほど、奇妙な封書であった。
こんなに手の込んだ手紙を作って、ふざける奴など知り合いには居ない。
他のDMやチラシと共に捨てようかと思ったが、何故か気になるので残しておくことにした。