夏木立

初めての出会い

         第3話 初めての出会い

 ボンネットバスは、俺を乗せてふわふわと走っているようだ。車窓には、俺の顔が映っていたが、外の様子は見ることができなかった。

 バスは揺れることもなく、加速とか減速のGを全く感じなかった。表現するなら、雲に乗っている感じが近いのだと思うが、雲に乗ったことはないのでよくは解らない。

 ただ何処かに向かっているのは感じることができた。

 うたた寝で見た夢で思った時のような不安は感じていなかった。

 今も夢なのか現実なのかは、正直なところ認識できない。このバスに乗っていることも、現実的ではない。

 もともと有り得ない話から始まっている、アパートの前にバス停があるわけないし、ボンネットバスなんて、今時、観光地のイベントぐらいでしか見ることができないだろうということは、世間知らずの俺にでも分かることだ。そんなことを考えているうちに寝てしまったようだ。



 目が覚めて見た車窓からは、大きな木々が道を覆いかぶさるようにバスの車体に迫っていた。

 乗った時から乗客は俺一人だったが、やはり車内には他の乗客はいなかった。

 その時、俺は目を疑った。



「運転手が居ない? ウソだろ? 誰が運転しているのだ!」俺は叫んでしまった。

 瞬間、俺は小さな村の入口だと思われる橋の前に立っていた。



 なんだ? バスは? 振り返ったが、バスは見えなかった。



(何が、どうなっているのだ?)

(ここは、どこなのだ?)



 ここが目的地だとして、初めて見る小さな山村だった。

 ここに着た理由がまったく解らなかった。



(この村に差出人が居るってことなのか?)



 橋から村を眺めてみると、5,6軒の茅葺の建物が見えていた。

 今時、茅葺ぶきって……どれだけ田舎なんだよと思ってしまった。

 孤児院も随分と田舎ではあったが、茅葺の住居など一軒もなかった。

 ここで考えていても仕方ないので村の中に進むことにした。

 橋の近くにある家を訪ねてみた。



「こんにちは」

「ごめんください、誰かおられませんか?」



 返事がなかった。

 少し離れた隣を訪ねた。



「こんにちは」「ごめんください」「誰かおられませんか?」



 やはり返事もない、というか人の気配すら感じられなかった。

 隣、隣と同じように訪ねたが、どの家にも人の気配がなかった。村人はどこにも居ないのか?

 そんな気がしたとき、川の方から笑い声と思われる音が聞こえた。

 急いで声が聞こえたと思われる川に走った。そこには、男の子と女の子が二人で水の掛けあいをしていた。

 俺は少し安心した、子供が居るってことは村人も居るのだから、みんな仕事にでも行っているのだろうと思った。

 子供を見ながら、手ごろな高さの石に腰掛けた。

 橋のあたりは川幅も狭く流れも速かったが、この場所は、川幅も広く流れも穏やかで川遊びには良い所なのだなと思いながら見ていた。

 川の対岸に神社があるのが見えた。木造りの鳥居の両脇には、狛犬が川を見ていた。

 鳥居の後ろは、野面のづら積みの階段があり、見えにくいがその上に社やしろが少し見えていた。

 ユラユラと流れる川面に日が反射して、川面に迫せり出した木々の陰に光を当てていた。

 この穏やかな日差しと、川の流れる音に先ほどまでの不安が消えていった。



「お兄ちゃん! お兄ちゃんは何処の人じゃ?」



 突然、男の子から声をかけられた。



「こんにちは」「東京から来たのだよ」



「お兄ちゃんは、東京の人なのか?」



「大ちゃん、知らない人に声かけたら駄目なんだよ」



「鈴、村に居る人は知らない人じゃないから大丈夫」



「俺……いや僕は怪しい者じゃないよ」

「招待されて来たのだからね」



「兄ちゃん、招待って何だ?」



「会いたいって手紙をもらったのです」



「誰のとこじゃ?」



「それが……よくわからなくて」ハァハハハ・・・

 笑うしかなかった。



「変な兄ちゃんだな」アハハハハハ



「俺は、安濃 亮といいます、君たちの名前は?」



「ぼくは、峰崎 大地、こいつは鈴」



「大ちゃんに、鈴ちゃんだね、よろしく」



 鈴ちゃんは、大ちゃんの後ろから、くりくりとした瞳で俺を見ていた。

 俺はバックからチョコレートを取り出して、大ちゃんに渡した。



「おぉ! 鈴、見てみろ、チョコレートだぞ」大ちゃんは両手で持ったチョコレートを鈴ちゃんに見せた。

「お兄ちゃん、これ食べてもいいのか?」大ちゃんは俺の顔を見て言ったが、返事も聞かぬ間に包装を破いていた。



「大ちゃん、知らない人から物を貰ったらダメなんだよ」



「鈴、何言ってるんだ、あきら兄ちゃんは知らない人じゃないから」



「でも……」鈴ちゃんは、躊躇しているようだが、そのくりくりした瞳はチョコレートに釘付けになっていた。



「鈴、半分こにしよう」大ちゃんは、チョコレートを半分に割ったが、6対4ぐらいに割れてしまった。

「鈴、これ食べろ、半分だ」大ちゃんは、自分のを見せないように大きいほうを鈴ちゃんに渡した。



「ありがとう、あきら兄ちゃんありがとう」と鈴ちゃんが言った。その顔は明るく、俺を見詰めたその瞳に何とも言えないものを感じた。

 施設の俺たちに施しをする人から貰う時の俺たちの表情ではなく、もっと純粋に、俺自身を包み込むような温かさを感じた。



 俺は二人が嬉しそうにチョコレートを食べているのを見ていた。



「大ちゃんと鈴ちゃんは兄妹なの?」



「鈴は隣の家だ」大ちゃんはそう言った。



「わたしは、大ちゃんのお嫁さんになるの」と鈴ちゃんは大ちゃんの顔をみながらにこにこしていた。



「おぃ、鈴、口の周りにチョコがいっぱい付いてるぞ」大ちゃんはそう言いながら、鈴ちゃんの口の周りに広がったチョコを指で拭ってぺろぺろと舐めてしまった。



「大ちゃんだって、いっぱい付いてるから取ってあげる」鈴ちゃんがそう言うと。



「鈴、これは後の楽しみに付けてるのだから、このままでいいのだ」と言って走り出した。



「大ちゃん、待って、わたしも取りたい」鈴ちゃんは大ちゃんを追いかけ始めた。



 二人のやり取りを見ていて、俺はほのぼのと言うのか、安らぐ思いがしていた。

 しかし俺はここに何しに来たのだろうか? これが招待されていることなのだろうか? よくわからなかった。



「大ちゃん、鈴ちゃん、この村に来る次のバスはいつ頃になるのかな?」

 俺は町まで出る手段を考えていた。



「バス? 来ないよ」大ちゃんはそう言った。



「でも バスでこの村まで来たのだから、あるでしょ」



「あきら兄ちゃん、この村にはバスなんて来たこと無いよ」



「でもバスに乗って来たのだけど?」



「あきら兄ちゃん、夢でも見たのか? 途中の路がこの前の雨で崩れて歩きでないと無理だよ」

 夢? でもバスで来たはずだ、あれは夢ではない。

 しかし大ちゃんが嘘を言っているとも思えなかった。



「鈴ちゃん、崩れているの?」俺は聞いてみた。



「……」鈴ちゃんが何か言ったが聞こえなかった。




 ~~~なんだか白くなってきていた、あれ? 鈴ちゃんのくりくりした瞳が俺を見ていた、何だか優しい眼差しに抱かれている気分だった、こんな気持ちは初めてだった~~~





 気が付いたら、俺はアパートの部屋にいてテーブルの上に広げた本に顔を乗せて目が覚めた。



 夜中にバスに乗って知らない村で、大ちゃんと鈴ちゃんと話していたはずなのに……



 あれは、夢だったってことなのか? 常識的に考えても夢だと思うのが普通だと思った。



 しかし、やけにリアルで色があり、水の冷たさや日差しや、風景が夢とは思えなかった。知らない風景や人を夢に見るものなのだろうか?



 夢として片付けるには、すこし疑問な点も多いような気もしていた。なぜなら、バックに入れておいた、チョコレートが無くなっていたからだ。

 夜中に食べたとも考えられるので、鏡の前で大口開けて見てみたが、なにも形跡がなかった。

 チョコレートの包装も部屋には無かった。

 もう少し、しっかりした情報を確認すればよかったと思ってしまった。

 せめて村の名前でも聞いておけばよかったと後悔した。



 バックには、バスのチケットも残っていた。

 2通目の手紙には、望めば行けると書かれてあったのを思い出した。



 だとしたら、俺は最初に何を望んだのだろう?

 考えられるのは、旅行を望んだのだろうと思えた。



 そうか、旅行だな、旅行は手紙の差出人に会うためだったはず。でも……会ったのは、2人の子供だけだった?

 大ちゃんと鈴ちゃんが、あの手紙を書けるとも思えない。俺はまだ差出人と会っていないことになるな



 俺は不思議な夢で終わらせたくなかった。



 俺の中では、不思議な体験ではなかった。

 2人の笑い声、夏の日差し、水の冷たさ、夏虫たちの声、チョコレートの甘い匂い、足の裏に感じた日に焼けた河原の石の熱さ。

 そのどれもが現実だったと思えた。



 この話は、他の誰かに話しても自分の中では解決しないだろう。

 俺は俺自身が現実にあったと信じている以上、自己完結しなければならない。



 本心は、そんな理屈じゃなく、何故か大ちゃんと鈴ちゃんと居た時に感じた心地よさが忘れられないみたいだ。



 俺が孤児院に居たころ、正確には自分以外を認識し始めてから、人とは一定の距離を保っていた。

 この人とは、これぐらいとか、人によりその距離感はさまざまであったが、距離感が無かった人は今までに一人として居なかった。



 俺はあの2人には距離を感じていなかった。



 まだ子供の大ちゃんが鈴ちゃんに対する気配りを見せたとき。

 俺は感動すら覚えた。

 そんな2人のそばに居たとき、俺は居心地のよい部屋でまどろんでいたように思えた。



 もう一度、行ってみよう、いや、行きたい、俺はそう思った。



 今回の事で、俺はどうしても差出人に会いたくなっていた。

 少なくとも2人に会ったということは、バスに乗るための動機が差出人なので、大ちゃんと鈴ちゃんは差出人と何らかの関係があると思えたからだ。
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