夏木立

烏瓜

         第5話 烏瓜

 大ちゃんの家に着いた、茅葺だが田舎によくある造りだった。

 炎天下の外と違い、家の中の空気は少し冷たく感じられた。



 三人は囲炉裏いろりの周りに腰掛けた。

 鈴ちゃんが囲炉裏に火を入れ始めた。火種になる紙の上に小枝を取り巻くように重ねて、少し太めの枝をさらに取り巻いた。

 マッチで火種に点火させると、たちまち小枝に火が移り、パチパチと小さく爆はぜた。



「もうすぐだから、少し待っていてね」鈴ちゃんは、小枝を素早く足して太い枝に火を移していった。



 不思議なことに、夏なのに囲炉裏の火が熱く感じられなかった。

 揺れる火と木の燃える匂いと爆ぜる音だけは感じられた。



 この不思議な事は、もう理由など如何どうでもよくなっていた。

 確かなことは、大ちゃんと鈴ちゃんの傍に居るときが俺は一番居心地がよいということだ。

 居心地が良いのは何故などと、理由は俺には見つけることができなかった。



 火を見ていたら、自分の過去を思い出していた。

 院では何時も目に見えない規則があり、先生という親がいて、良い子にしていれば褒められた。

 俺は、褒められるのが嬉しかったのだと思う。

 だから勉強も、院のお手伝いも、何でもかんでも、褒められるためだけに頑張ってきた気がしていた。

 でも、どれほど頑張っても、少しも居心地は良くならなかった。

 出来ない事があると、異常なほど努力をしてきた。

 超えても超えても、尽き果てることも無いぐらいに周りが期待した。

 入試に失敗したときの反応は、酷な事を言う人は居なかったが、俺は一気に周りの人との距離が見えなくなるほど遠のいた感じになっていた。

 おそらく俺自身の問題なのだろうと思うが、受け止めてくれる人が、涙を見せられる人が居たら、また違っていたのかもしれない、そんなことを考えていた。



「あきら、何をぼおっとしてるんだ?」大ちゃんが覗き込むように話しかけた。



「すこし、昔のことを思い出してしまった」俺はすこし照れ笑いをした。



「亮さんの小さいころって、どんな子供だったの?」鈴ちゃんが聞いた。



「どんなんだろう? 周りの人はたぶん半分が良い子で、残りは嫌な奴だと思われていたかもしれない」俺は孤児院に居た頃の自分を思い出すように話した。

 先生や目上の人に良い顔ばかりしていた自分が恥ずかしく思えた。



「あきらは、良い奴だ、チョコレートの味を生涯忘れない」大ちゃんはそう言った。



「チョコレートか……ずいぶん前の話だよね」俺は少し戸惑いながら話した。



「昔とかの話ではない、その気持ちが嬉しいのだから」大ちゃんは笑い顔で話した。



「そういえば、美味しそうに食べていたよね」大ちゃん達と始めて話した時を思い出した。

 昨日の出来事であるはずだと思っていた十年前の話を、俺も十年の時間が過ぎたような気になっていた。



「大ちゃんが言うとおりだと思う、そういう気持ちが持てる人に育っているのが嬉しいものなのよ」鈴ちゃんはそう言いながらお茶を俺に勧めた。

 俺は鈴ちゃんの言葉に、何か引っかかる感じがしていた。



「鈴、今朝、釣ってきた岩魚いわなを焼いてくれるか」



「そうだね、亮さんは魚は食べれるよね」鈴ちゃんは俺の顔を眺めながら話した。



「はい」俺は鈴ちゃんを見て返事をした。



 鈴ちゃんは立ち上がって土間の台所に行った。



「食べれないでどうする、あきら 好き嫌いはするなよ」大ちゃんはそう言いながら、囲炉裏の火を広げ始めた。



「大ちゃんと鈴ちゃんは、なんて言うか、夫婦みたいだな」俺は笑いながら話した。



「鈴とは、手を差し伸べたとき、手を取ってくれたときから夫婦みたいなものだな」大ちゃんも笑いながら話した。



「大ちゃん、なにを言ってるの、亮さんが返事に困るようなこと言わないでよ」鈴ちゃんが台所から話に入ってきた。



「あきらに聞かれて困ることでもないだろ」



「なんか、羨ましいな」俺は本当に羨ましかった。



「亮さんは、好きな人とかは居ないの?」鈴ちゃんが聞いてきた。



「そうだよな、好きな人の1人や2人いるだろう」

 大ちゃんは、俺の顔を覗き込むように聞いてきた。



「残念だが、いまだに見つからない、鈴ちゃんみたいな人が居たら、追い掛け回すかな」

「ストーカーだな」俺は大笑いした。



 鈴ちゃんが囲炉裏まで串を打った岩魚を運んできた。

 岩魚は初めて見る魚だった。

 魚を食べたことはあるが、切り身でないものはあまり記憶にはなかった。

 川魚を食べるのは初めてであった。



「大ちゃん、この魚は下の川で釣ったのか?」串が通った岩魚の顔を見ながら聞いてみた。



「そうだよ、上流にある滝つぼまでポイントが沢山あるから」

「親父が子供の頃の話では、神社の前の瀬でも尺岩魚が釣れたらしいが、今の瀬には小さなものでもいなくなってしまった」



「お父さんは仕事に行ってるのか?」俺は少し大ちゃんの家族に触れる話をしたが、大ちゃんはそれには答えてくれなかった。



「昔、食糧難の頃、川に毒を流す奴がいて、根こそぎ魚を殺したりしたものだから、今では……今では親父が話していたことが嘘のようだ」

「あきら、何事もバランスは大事なんだぞ」大ちゃんは囲炉裏の火を見ながら話したが、すぐに顔をあげて俺に笑いかけた。




「そろそろ魚が焼けるころかな」鈴ちゃんは、囲炉裏に挿してある串を反転させた。



 2人は魚の位置が悪いとか火をもう少し落とせとか、俺に焼き面を変えろとか、いろいろと指図してきたが、俺はその言葉に優しさを感じていた。



「あきら、魚は食べる為に釣るものだぞ、仕事ではないから必要以上に釣る必要も無い」

「釣った魚は、最高の味に仕上げるのが食べる者の礼儀だ」

「人は命を食って、繋がってゆくのだ、無駄にはするな」大ちゃんは、まるで大人のような話をした。



「そうだね、その通りだと思う」俺は焼きあがってゆく岩魚をみなからそうだよなと思っていた。



「大ちゃん、そんなおっさん臭い事言ってないで、お皿出してきて」



「お皿ね、すこし待ってね」大ちゃんはひょいと立ち上がり台所に向かった。



「鈴ちゃんも大ちゃんも幸せそうだね、見ていて微笑ましいよ」



「そうね、幸せだよ。でも今が一番幸せなんだよ。亮さんと3人で食卓を囲めることは、幸せなことなんだよ」鈴ちゃんは、魚の焼き色を確認しながら話した。



「お皿持って来たよ」「さぁ、何も無いけど、食べようか」大ちゃんは皿と箸を俺に渡した。



「おぉ、よい焼き色だ、いただきます」大ちゃんは、串のまま魚に噛付いた。



「亮さんも食べて」鈴ちゃんが串を渡してくれた。



「いただきます」俺も大ちゃんみたいに串のまま噛付いた。



「おいしい」俺は塩味だけの魚がこんなに美味しいものとは思ってもいなかった。



「おいしい? よかった! 塩味だけだけど、塩の振り方で味が変わるからね」鈴ちゃんはすこし自慢げに話したが、本当に美味しかった。



「3人で食事するのは初めてだったな」大ちゃんは小さな声で鈴ちゃんを見て話した。



「うん、楽しいね。大ちゃん……わたし泣けそう……もう耐えられない」鈴ちゃんは、ハンカチで目を覆った、ぼろぼろと流れる涙が見えていた。



「鈴、よさないか、あきらが引いているぞ」大ちゃんの目にも光るものがあった。



「おぉ、そうだ、あきらにこれをあげるよ」大ちゃんは、小さな変な形のものを取り出した。



「大ちゃん、これはなんだ?」不思議な形の……何かを貰った。



「これはな、望みが叶う種なんだ」大ちゃんは、種を手のひらで転がして話した。



「種か……何の種なんだ?」俺はそう言いながら、見た記憶があることに気が付いた。



 これはお守り袋に入っていた物と同じものだ、あれは種だったのか。



「大ちゃん。これは何の種?」



「烏瓜の種だよ、形が打ち出の小槌みたいだろ、お金持ちになるとか言われているけど、願いも叶えてくれるんだ」
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