夏木立
夏木立
第7話 夏木立
俺は東京の部屋で目が覚めた。飛び起きて洗面所の鏡に向かい、鏡に映っている自分の顔を見ていた。
自分の顔の中に、大ちゃんと鈴ちゃんの面影を探していた。眉の形、鼻の形、顔の輪郭、耳、目……似ている。
「大ちゃん、鈴ちゃん、俺、……俺は二人の子供に間違いないよ」
俺は、烏瓜の分布範囲と茨川という村の名前を調べ始めた。烏瓜の分布範囲は、思ったよりも広くなくて、野生種で絞れば地域が限定されていた。
村の名前もネットで調べることができた。
調終えて俺はバイト先に行き、店長にお盆休みをもらい、その足で目的地に向かった。
JRから地元ローカル線に乗り換え、小さな駅に着いた。
その日は駅近くの宿に泊まり、翌日、始発のバスに乗り込んだが、始発のバスには乗客は俺以外には居なかった、約一時間半ほどの終点に到着した。
終点の村で、俺は茨川のことを尋ねてみた。
「すみません、茨川にはこの道を進めばよいのですか?」
「茨川はこの道でおおとるが、あそこは誰も住んではおらんぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
「あ、それと峰崎 大地って人はご存知ですか?」俺は大ちゃんの事を聞いてみた。
「峰崎……あぁ大地な、あの子はずいぶん前に事故で亡くなっているよ」
「大地は安濃の娘と一緒になって、安濃の跡を継いだはずだ」
「兄ちゃんは大地の知り合いか?」
「鈴ちゃんは、安濃 鈴だったのか」
「鈴も知っておるのか」
「二人はどうなったのですか?」
「そうか……兄ちゃんは知り合いか」
「その年は、ひどい雪でな、二人の乗った車がスリップしたんじゃろな、そのまま雪の吹き溜まりに突っ込んで動けんようになったようでの」
「はい」俺は両親の話が聞けると思ってもいなかった。
「除雪の車に発見された時には、二人は重なるように死んでいたと聞いたな」
「確か、赤子だけが助かったと聞いておるが、二人で死ぬ寸前まで子供を暖めていたのじゃないかな」
「その子供は、どうなったのですか」
「詳しくは知らんが、大地の家は山の事故で誰も居らんかったはずじゃ、安濃のところは一家離散で、林業では食ってゆけんからの、鈴と大地は最後まで村に残ったおったが、子供のその後は知らんな」
「そうですか、その事故の場所はわかりますか?」
「村に向かう途中と聞いたが、詳しくはわからん」
「ありがとうございます」
俺は道を進んだ。
何時間歩いたか、分からなくなるころ、バスでみた、夏木立のトンネルに入っていた。
もうすこしで村だ。
もうすぐ橋が見えるはず、俺は橋から見た村を思い出していた。
川の傍まで着たが、橋は流されているようだった。そこから見える村は、すでに建物も崩れて、夏草に覆われていた。
記憶にある村の風景と、川向こうに見える風景とのギャップに、俺は驚愕きょうがくを感じて、ただただ茫然と眺めてしまっていた。
気を取り直し俺は川を渡り、大ちゃんの家、たぶん鈴ちゃんの家だったのかもしれないが。記憶を頼りに探した。
縁側から見える風景を思い出し、家を特定できた。が、すでに崩れかけていて、入るのも危険ではないかと思われるほどであった。
中に入れば、あの時の情景が不意に現れた。
「亮くん、おかえり、はやく入りなさい」鈴ちゃんが振り向いて手を振った。
「あきら、朝、岩魚釣っておいたぞ」大ちゃんは囲炉裏端に座って手で俺を招いた。
「ただいま」俺は二人に答えた。
二人に促されて縁側に進んだ。
俺は縁側に座ってスイカを食べる仕草をした、種を飛ばした。横で二人が笑っているのが見えたが、その笑い顔が霞かすんで消えていった。
「あ!」と声が出た。同時に大ちゃんが言っていた、渡したい物を思い出した。
俺は立ち上がり、縁側から部屋の中を見渡した。あの時もそうだったが、本当に何もない部屋だった。
大ちゃんが渡したかったものってなんだったのだろう。薄暗い部屋に目が慣れていなかった、目が慣れてくると。
家に入ったときに、大ちゃんが座っていたところの床に蓋があるのが分かった。蓋を開けると、丸いクッキーの缶が置かれてあった。
俺はガタガタと抵抗する扉を閉めて河原に向かい。
河原で二人に出会った時に座った石に腰掛た、少し錆たクッキー缶を開けてみた。
中には、大ちゃんと鈴ちゃんが交換した手紙や、子供の事や、二人の学校でのテスト、感想文、その他にもいろいろ入っていた。
下から上に、子供から大人になるまでの積み重ねた二人の人生が納められていた。
底のほうに、一枚の写真が入っていた。
それは、川向こうに見える神社の夏祭りのようだった。
神社の鳥居の前で、手を繋いだ二人が笑っていた。
俺はこの写真の二人は、大ちゃんが言っていた。
「手を差し伸べたとき、手を取ってくれたときから夫婦みたいなものだな」
その時の写真なのだと確信した。
俺は日が傾き始めるまで、河原で写真を見ていた。
暗くなる前に橋のあった川を渡り、振り向いて「いってきます」と言った。
夏木立のトンネルを抜ける頃には、日も落ちて暗い夜道になっていた。しばらく歩くと、懐中電灯に照らされた、白い何かが目に飛び込んできた。
すこし道幅が広くなっているところの山裾に木に絡むように白い花があった。
それは烏瓜の花だった。
調べた図鑑通りの白い糸で作られたレースのような花が、雄株と雌株が同じところにあるのだろう、雄花と雌花が寄り添うように咲いていた。
ふと、ここは事故のあったところかもしれないと、何の根拠もなく思ってしまった。
俺はバックからチョコレートを取り出して懐中電灯で照らし、エンボス加工された文字を指先でなぞって包みを開いた、電灯に照らされて暗闇にキラキラと光るチョコレートを三等分した。
一番大きいのを包み紙の上に置き、「三等分したからね」
二番目に大きいのを、同じように「三等分だから」と言った。
残りを口にし、包み紙に置かれたチョコレートを見ていたら、真っ暗闇の中で怒涛どとうのように経験したことのない感情が襲ってきた、俺はそれに逆らうこともできず号泣してしまった。
数年後、俺は大学を卒業して農林水産省の官僚になった。
鈴ちゃんの作文に、山を虐めなければ、山は私たちに恵みをくれると思います。
その一行で俺ができる事をやろうと思った。
俺は東京の部屋で目が覚めた。飛び起きて洗面所の鏡に向かい、鏡に映っている自分の顔を見ていた。
自分の顔の中に、大ちゃんと鈴ちゃんの面影を探していた。眉の形、鼻の形、顔の輪郭、耳、目……似ている。
「大ちゃん、鈴ちゃん、俺、……俺は二人の子供に間違いないよ」
俺は、烏瓜の分布範囲と茨川という村の名前を調べ始めた。烏瓜の分布範囲は、思ったよりも広くなくて、野生種で絞れば地域が限定されていた。
村の名前もネットで調べることができた。
調終えて俺はバイト先に行き、店長にお盆休みをもらい、その足で目的地に向かった。
JRから地元ローカル線に乗り換え、小さな駅に着いた。
その日は駅近くの宿に泊まり、翌日、始発のバスに乗り込んだが、始発のバスには乗客は俺以外には居なかった、約一時間半ほどの終点に到着した。
終点の村で、俺は茨川のことを尋ねてみた。
「すみません、茨川にはこの道を進めばよいのですか?」
「茨川はこの道でおおとるが、あそこは誰も住んではおらんぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
「あ、それと峰崎 大地って人はご存知ですか?」俺は大ちゃんの事を聞いてみた。
「峰崎……あぁ大地な、あの子はずいぶん前に事故で亡くなっているよ」
「大地は安濃の娘と一緒になって、安濃の跡を継いだはずだ」
「兄ちゃんは大地の知り合いか?」
「鈴ちゃんは、安濃 鈴だったのか」
「鈴も知っておるのか」
「二人はどうなったのですか?」
「そうか……兄ちゃんは知り合いか」
「その年は、ひどい雪でな、二人の乗った車がスリップしたんじゃろな、そのまま雪の吹き溜まりに突っ込んで動けんようになったようでの」
「はい」俺は両親の話が聞けると思ってもいなかった。
「除雪の車に発見された時には、二人は重なるように死んでいたと聞いたな」
「確か、赤子だけが助かったと聞いておるが、二人で死ぬ寸前まで子供を暖めていたのじゃないかな」
「その子供は、どうなったのですか」
「詳しくは知らんが、大地の家は山の事故で誰も居らんかったはずじゃ、安濃のところは一家離散で、林業では食ってゆけんからの、鈴と大地は最後まで村に残ったおったが、子供のその後は知らんな」
「そうですか、その事故の場所はわかりますか?」
「村に向かう途中と聞いたが、詳しくはわからん」
「ありがとうございます」
俺は道を進んだ。
何時間歩いたか、分からなくなるころ、バスでみた、夏木立のトンネルに入っていた。
もうすこしで村だ。
もうすぐ橋が見えるはず、俺は橋から見た村を思い出していた。
川の傍まで着たが、橋は流されているようだった。そこから見える村は、すでに建物も崩れて、夏草に覆われていた。
記憶にある村の風景と、川向こうに見える風景とのギャップに、俺は驚愕きょうがくを感じて、ただただ茫然と眺めてしまっていた。
気を取り直し俺は川を渡り、大ちゃんの家、たぶん鈴ちゃんの家だったのかもしれないが。記憶を頼りに探した。
縁側から見える風景を思い出し、家を特定できた。が、すでに崩れかけていて、入るのも危険ではないかと思われるほどであった。
中に入れば、あの時の情景が不意に現れた。
「亮くん、おかえり、はやく入りなさい」鈴ちゃんが振り向いて手を振った。
「あきら、朝、岩魚釣っておいたぞ」大ちゃんは囲炉裏端に座って手で俺を招いた。
「ただいま」俺は二人に答えた。
二人に促されて縁側に進んだ。
俺は縁側に座ってスイカを食べる仕草をした、種を飛ばした。横で二人が笑っているのが見えたが、その笑い顔が霞かすんで消えていった。
「あ!」と声が出た。同時に大ちゃんが言っていた、渡したい物を思い出した。
俺は立ち上がり、縁側から部屋の中を見渡した。あの時もそうだったが、本当に何もない部屋だった。
大ちゃんが渡したかったものってなんだったのだろう。薄暗い部屋に目が慣れていなかった、目が慣れてくると。
家に入ったときに、大ちゃんが座っていたところの床に蓋があるのが分かった。蓋を開けると、丸いクッキーの缶が置かれてあった。
俺はガタガタと抵抗する扉を閉めて河原に向かい。
河原で二人に出会った時に座った石に腰掛た、少し錆たクッキー缶を開けてみた。
中には、大ちゃんと鈴ちゃんが交換した手紙や、子供の事や、二人の学校でのテスト、感想文、その他にもいろいろ入っていた。
下から上に、子供から大人になるまでの積み重ねた二人の人生が納められていた。
底のほうに、一枚の写真が入っていた。
それは、川向こうに見える神社の夏祭りのようだった。
神社の鳥居の前で、手を繋いだ二人が笑っていた。
俺はこの写真の二人は、大ちゃんが言っていた。
「手を差し伸べたとき、手を取ってくれたときから夫婦みたいなものだな」
その時の写真なのだと確信した。
俺は日が傾き始めるまで、河原で写真を見ていた。
暗くなる前に橋のあった川を渡り、振り向いて「いってきます」と言った。
夏木立のトンネルを抜ける頃には、日も落ちて暗い夜道になっていた。しばらく歩くと、懐中電灯に照らされた、白い何かが目に飛び込んできた。
すこし道幅が広くなっているところの山裾に木に絡むように白い花があった。
それは烏瓜の花だった。
調べた図鑑通りの白い糸で作られたレースのような花が、雄株と雌株が同じところにあるのだろう、雄花と雌花が寄り添うように咲いていた。
ふと、ここは事故のあったところかもしれないと、何の根拠もなく思ってしまった。
俺はバックからチョコレートを取り出して懐中電灯で照らし、エンボス加工された文字を指先でなぞって包みを開いた、電灯に照らされて暗闇にキラキラと光るチョコレートを三等分した。
一番大きいのを包み紙の上に置き、「三等分したからね」
二番目に大きいのを、同じように「三等分だから」と言った。
残りを口にし、包み紙に置かれたチョコレートを見ていたら、真っ暗闇の中で怒涛どとうのように経験したことのない感情が襲ってきた、俺はそれに逆らうこともできず号泣してしまった。
数年後、俺は大学を卒業して農林水産省の官僚になった。
鈴ちゃんの作文に、山を虐めなければ、山は私たちに恵みをくれると思います。
その一行で俺ができる事をやろうと思った。