午後5時、いつものバス停で。


けほっけほっ。

聞こえてきた苦しそうな咳き込む声で、私は遠くに飛ばしていた意識を取り戻した。
隣を見ると、あの人が咳き込んでいた。
春になったとはいえ、夕方を過ぎるとまだ冷える。
外で何時間も過ごしているならなおさらだ。

ポケットを探ると、いつも常備している飴がある。
人見知りの私は、ポケットの中の飴玉をぎゅっと握り締めた。
…あげたいけれど、変な人だと思われたらどうしよう。
そもそも知らない人から貰った飴なんて食べるかな?
ぐるぐるといろんな考えが頭の中を巡っていくけれど、咳き込む声にいてもたってもいられなくなって、私はあの人の前に立ち上がった。


「あのっ…これ、良かったら!」

思ったより大きな声が出てしまった。恥ずかしさに、また顔が熱くなる。
あの人はきょとんとした上目遣いで私を見上げる。
あああ、やっぱりこんなことしなきゃよかった…!!


後悔が襲いかけたその瞬間、あの人がくしゃりと顔をほころばせた。
「ありがとね、ちょうど欲しかったんだ。」
想像よりも大きな手のひらが伸びてきて、私の差し出した飴を受け取ってくれた。

何故だか分からない。
分からないけれど、あの人が飴の封を切るその指先の動きを、私は目で追ってしまう。



ぷしゅうーっ。

バスのドアが独特の空気音を発すると同時に、私は我にかえる。
一気に恥ずかしくなって、あの人の前で一礼だけすると、私はバスに飛び乗った。訳もないのに素早く席に座る。
何が恥ずかしいのかもはや分からなくなっていたけれど、バスに乗った瞬間、私の頬はびっくりするほど熱くなっていた。

両手で、ほっぺたを押さえる。
びっくりした。自分の行動にも、あの人の始めて聞いた声にも、あの人の指先にも、びっくりした。

3月終わりの午後6時の風は、まだまだ冷たいはずなのに、バスに乗った私の頬は、とてもとても熱くなっていた。





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